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Ingólfr. Norsk-islandsk hopehav 870-1536 [Medieval Iceland]


Jón Viðar Sigurðsson, Berit Gjerland, & Gaute Losnegård
Ingólfr. Norsk-islandsk hopehav 870-1536.
Frøde: Selja Forlag, 2005, 255 s.

Noreg og Island
Det norke opphavet: Noreg 800-1050
Å skape eller gjenskape eit samfunn: Noreg og Island 870-1000
Det ubalanserte forholdet: Noreg of Island 1000-1350
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ノルウェーからアイスランドへの移住を伝える『アイスランド人の書』の冒頭に、次の一節がある。

「美髪のハラルドが十六歳のとき、ノルウェーからはじめてアイスランドに到着したノルウェー人はインゴルヴという名であった。また二度目は数年後であった。彼は南の方レイキャヴィークに居を定めた。彼が最初に上陸したミンサク浜の東をインゴルヴ岬と呼び、またオルフォッサー川の西側の、後に自分の所有としたところをインゴルヴ山と呼ぶ」(中島和男訳)

この史料に従えば、870年にアイスランドへ移住したのはインゴルヴという人物であり、彼は今なおアイスランド建国の象徴的存在として、様々な場で引き合いに出される。『アイスランド人の書』は、アイスランド人の司祭アリ・ソルギルスソンにより1120年頃に作成されたと考えられており、アイスランド植民期を簡潔に記す、初期アイスランド史にとって不可欠の文献史料である。

著者の一人であるヨーン・ヴィザル・シグルズソンは、現在オスロ大学で教鞭をとる。1958年にアイスランドで生まれた彼は、中堅ながら中世アイスランド史、またアイスランド・ノルウェー関係史の第一人者であり、当該時代に関心のある向きは、ヨーン・ヴィザルが精力的に生み出す成果に注目しなければならない。13世紀アイスランドにおける階層化された権力構造を明らかにすることで、「自由農民による平等主義的な自治」という理想像と決別した彼の博士論文は、中世アイスランド研究の今後の方向性を決定付けたといってよい。
Jón Viđar Sigurđsson, Chieftains and power in the Icelandic commonwealth(The Viking collection 12). Odense: Odense UP, 1999, 255 p.

こうして、故国アイスランド史の解明から出発したヨーン・ヴィザルであるが、次第にノルウェー史へと研究の足場をシフトする。そのきっかけはおそらく、ノルウェー中世の通史を執筆する機会が与えられたことにあろうが、ただ概論に満足することなく、近年はアイスランドとノルウェーの関係史に関して、集中的に成果を挙げているように見える。両国を平行して論じるという視点は、その歴史的経緯を見ればあってしかるべきであるが、必ずしも叙述の成功例にたどり着いたわけではない。スノッリの歴史的作品を、ノルウェー人は「ノルウェー王の歴史」と呼び、アイスランド人は「ヘイムスクリングラ」と呼ぶその立脚点の違いが、一国史の枠組みを堅持しつづけたのである。

本書のような叙述は、アイスランド人でありながら、ノルウェーで教鞭をとり、アイスランド史で始めながら、ノルウェー史も納めるという経験をしたヨーン・ヴィザルでなければできない芸当である。同じことは、北欧史の通史を書き切ったハラルド・グスタフソンにもあてはまる。アイスランド史で博士号を取り、デンマーク史を専攻する妻を迎え、ルンドにポストを持ちながら、ウップランドの歴史を書く。国家のアイデンティティが時代とともに構成されていくように、個人のアイデンティティも、その個人の生の歴程とともに広がり、狭まり、深まり、擦り切れてゆく。歴史研究はそうした個人の生と深く関わるものであり、名著の誉れを纏う研究書は、本人の努力次第でいくらでも深めることのできる知識とは別の力が降り立たぬことには、生まれいずることがないのだろう、と思う。

本書は学術書であるが、本文と註のみというストイックなものではなく、一般顧客も射程に入れているのだろう、写真と図版が多い。近年の北欧では珍しくない形態ではあるが、これが大変貴重で、アイスランドの記憶の場を垣間見させてくれる。かつては近代史に特に注意を払うことはなかったが、近頃はやたらと気になる。中世史家は、直截的な意味においても比喩的な意味においても、現代の層、近代の層、近世の層と一枚一枚剥ぎ取らなければ、中世の層へと達することはできない。現代史家であるE・H・カーは、「歴史を知りたければ歴史家を知れ」と言ったが、中世史を知りたければ、中世史家を知らなければならず、中世史家を知るためには、彼が生きた風景を知らねばならぬ。その風景こそが個人の歴史観に大きな影響を与えたのであろうから。単なる研究史ではなく史学史が求められるのは、おそらくそのような意味においてであり、したがって史学史に対する関心は増すばかりである。とはいえ、余計なことに首を突っ込む余裕もないのだが。

本書の終章はインゴルヴの受容史であり、史学史でもあり、近代史である。ルドルフ・ケイサー、ペーテル・ムンク、ヨーン・シグルズソンという、19世紀を代表する歴史家たちのインゴルヴが、近代歴史学の扉を開けた。

234頁に、レイキャヴィークのインゴルヴ通りの写真が掲載されていた。坂のある、懐かしい町並みである。本書を見つけて送ってくれた友人よ、ありがとう。


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