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ゴシック世界の思想像 [Classics in History]


樺山紘一
ゴシック世界の思想像
岩波書店 1976年 xi+415+22頁

序論
 (1)十三世紀革命
 (2)中世のみかたをめぐって
 (3)思想史的分析についての若干の覚書
 (4)本書の構成

I. レグヌム 政治と社会の思想
1.政治理論における中世後期
 (1)二度の大論争と教権俗権問題
 (2)国家政治原理への考察
 (3)教会政治論の展開と公会議主義
 (4)ローマ法理念の貢献
 むすび
2.スコラ学政治理論の展開
 はじめに
 (1)政治的考察の諸概念
 (2)具体的政治についての分析
 おわりに
3.中世における「国家」観念の変換
 (1)問題の所在
 (2)国家の観念
 (3)Corpus Mysticum
 おわりに

II. サケルドティウム キリスト教会の正統と異端
1.中世異端思想の類型と段階
 はじめに
 (1)ヴィタ・アポストリカ論の制度批判
 (2)非日常的行為の宗教
 (3)正統と異端の歴史的形成
 (4)終末論と千年王国説
 (5)時間と空間の願望
 (6)願望と割拠の構造
 おわりに
2.自由心霊派異端について
 (1)研究史から
 (2)主要史料とその評価
 (3)基本的な諸問題
 (4)要約と総括

III. ストゥディウム 知識と知識人の状況
1.中世における「歴史」の思想
 はじめに
 (1)アウグスティヌスから十二世紀へ
 (2)ヨアキム主義と千年王国説
 (3)学と知における歴史
 (4)空間と時間の観念
 おわりに
2.ゴシック思想世界の構造
 はじめに
 (1)あたらしい概念と方法
 (2)正統―異端の構造
 (3)知識人の状況
 (4)異教をめぐって
 (5)ゴシック思想世界と西欧

あとがき

参照文献目録
中世著作目録
人名索引

* * * * * * * * * *

私の知る限り、日本で唯一、中世後期ヨーロッパ全体の思想動態を、一般史の展開の上へ位置づけることに成功した研究である。

第一部が政治思想、第二部が宗教思想、第三部一章が歴史思想を対象とし、第三部二章で十三世紀から十四世紀にかけての思想全体を、「ゴシック世界」という、切り取られた時代概念の中に投げ返している。フーコーやレヴィ・ストロースの構造主義が日本に導入され始めたから、というわけではないのかもしれないが、知の動態そのものが、分節化され、階層化され、構造化される、おそらく当時にあっては斬新な試みである。本書は、1970年から75年にかけて専門誌や論文集上に発表された論考の集成であるが、大幅な補筆改訂がなされている章もあり、事実上の単著研究書と見て差し支えない。哲学史家ステーンベルヘンの『十三世紀革命』(みすず書房)に触発されて、研究の枠組みを作り上げたと述懐するが、本書は、一般史を深く包摂している分、その『十三世紀革命』より遥かに射程が広く、深い。

私の理解する限り、本書の白眉は、第一部である。それは、樺山が大学院在籍中に執筆した「中期トミストと後期中世政治思想(上)(下)」『史学雑誌』79-9 & 10(1970)、「中世後期の政治思想」『岩波講座世界歴史11』(1970)、「中世後期における国家の観念」『人文学報』31(1971)の三本を柱としている。政治思想史に馴染みのない者は面食らうような述語が頻出し、それゆえに難解との評を得て、しばしば敬遠されてるように思うが、主軸は十三世紀に浮揚するアリストテレスの国家思想、そして国家経営の実践知性としてのローマ法的思考法をめぐる知識人の反応にある。帝国、教皇庁、教会、世俗国家が、武力を背景に離合集散を繰り返す中世後期において、それぞれの国家に仕える知識人もまた、知性を剣として、干戈を交えていた。当時はまだ翻訳のなかったカントーロヴィチの大著の議論も巧みに織り交ぜ、十二世紀以前の思想、またルネサンス以降の思想との連続性はふまえつつも、「ゴシック世界」のもつ特殊時代的な思考様式を抉り出す。樺山の謦咳に接した者であれば、彼が普遍性を論じる一方で、地域性と時代性という特殊性を繰り返し強調する点に同意するのではないかと思うが、その樺山流とも言える思考様式は、『ゴシック世界の思想像』の中に、すでに萌芽的とはいえない形で現れている点を認めることになるだろう。

本書を構成する論文が執筆された1970年代といえば、切り貼り打ち出しが自由にできるワープロも、個人の利用に耐えうる複写機環境も、なお切望される時代であった。したがって、個人所有ならざる研究書や論文はその場でノートを取り、論文となれば手書きである。その時代にあって、本書のような、緻密な構成を持った研究書を仕上げるのに、どれほどの精神的、肉体的エネルギーが必要であったのか。ワープロ、コピー、もう一つ付け加えればネットという文明の利器に慣れ、それらを用いた論文作法を所与の前提としている21世紀の若輩には、想像もつかぬ世界である。

現在、印刷博物館の館長職にある樺山は、1941年生まれ。日比谷高校を経て東京大学へ進学し、京都大学人文科学研究所の助手職をつとめた後、母校である東京大学西洋史学研究室に招聘された。1976年、若干34歳であった。あとがきを引く。

「本書ができあがるについては、いうまでもなく、内外の無数の研究者の学恩に負っている。しかしいまここでは、亡き旧師も、親しい友人もふくめて、その名をあげるのをひかえておきたい。学の達成と成立の過程における私的事情のいかんをこえて、なおそれの成果をして客観的通用力を持たしめたいと、切に願うが故に。」

かっこをつけすぎていると思わなくもないが、本書をはじめて読んだ学部時代以来、幾度となく私の心に浮かび上がるフレーズである。樺山の前任者であり、指導教官であった堀米庸三が逝去したのは、1975年である。

>先日、『大航海』の62号が出た(副題に歴史・文学・思想とあるが、歴史がテーマになったことはほとんどないように思う)。特集は「中世哲学復興」であり、そこで樺山と坂部恵が「中世哲学のポリフォニー」と称する対談をおこなっている。驚いたことに、樺山が『ゴシック世界』を振り返り、きわめて重要な発言をしている。
「前者の、ヨーロッパ世界がどういう仕組みででき上がってきたかは、割と古くから問題意識としては共有されてきました。じつはいまになって考えると、私が最初に書いた書物『ゴシック世界の思想像』は、基本的にはその意識にしたがっています。ヨーロッパにおける政治、社会思想はどこの時点に根源があり、その後あらまし言えばジョン・ロックやルソーから、そのうち近代世界に至るまでの思想の形がどこで成立したか。それが基本的に十三世紀、アリストテレスの導入からローマ法の復活とか、いろいろな事象の中でもって実現したんだということを説明するために書いた本です。自分はそう思ってなかったんのですが、この本はヨーロッパとは何か、ヨーロッパの出発点とは何かを論じているのであって、中世世界を論じているのではないと言われたこともありました。私は中世を論じたつもりなんで不本意だったんですが。で、前者のほうについては、これでもって問題が解けたと当時は自負しました。いまではもう欠陥だらけだと思っているんですが。」(64-65頁)

樺山は本書に先立って、『思想』と河野健二編『プルードン研究』(岩波書店)に、プルードンに関する論考を発表している。なぜプルードンか、という問にいまの私が答えることはできないが、樺山はその専門知性の形成期にあって、中世後期政治思想のみを特殊専門的に掘り下げているわけではない。近代思想と中世後期思想を往還しながら、『ゴシック世界』は執筆された、ということである。

1990年代後半に、私は本書を早稲田の古書店で、五千円で購入した。当時絶版になって久しく、神田の南海堂では八千円から一万円はしていた。貧乏学生のなけなしの金ではあったが、支払っただけのものは得たのだ、と思う。

写真はドミニコ会の学僧ヴァンサン・ド・ボーヴェ(1190-1264)。ラテン中世世界最大の百科全書「大鏡 Speculum maius」を著した。「自然の鏡 Speculum naturale」、「教義の鏡 Speculum doctorinale」、「歴史の鏡 Speculum historiale」の三層構造を持つこの大部の著作は、今なお1624年にドゥエで出版された版が標準版となっている。樺山がその校訂作業を希った新版は進んでいるらしいが、あまりにも大部で、いつ終わるのかわからない。こちらのサイトに基本的な情報はある。


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