ローマ法 [Classics in History]
原田慶吉
ローマ法〔改訂〕
有斐閣 1955年 408+52頁
第1部 ローマ法制史序説
第1編 ユスティーニアーヌス帝に至るローマ法
第2編 ユスティーニアーヌス帝以後のローマ法の発展
第2部 私法
第1編 総則
第2編 物権
第3編 債権
第4編 親族
第5編 相続
第6編 相続
索引
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専門の関係で法行政に対する関心は人並み以上にあったが、こういった法学部の教科書を前にするにつけ、法学部と文学部の差を感じる。これも法学部の友人に勧められて読んではみたが、一向に進まなかった。もちろん斜め読みで最後まで目を通すことは通したが、頭に全く残らない。哲学書と同じで、述語の定義が頭に入っていないと、一行を理解することすらできない。それになにゆえ私法だけなのか。
ローマ法に関しては次の著作がよく引かれる。
マックス・カーザー(柴田光蔵訳)『ローマ私法概説』(創文社 1979年)
最近では次の書もある。
フリッツ・シュルツ(真田芳憲・森光訳)『ローマ法の原理』(中央大学出版部 2003年)
原田慶吉(1903-50)は東京帝国大学法学部教授。ここに年譜等がある。ところでこの前ある研究会に出席して思ったことがある。日本は維新以降近代化を進める際、憲法をプロイセンより、民法をフランスより学んだ。高校生でも知っている事実である。がしかし、法実践は、法典があるのみでは成立しない。無数の事例に対応させるべく、法の解釈が必要である。その解釈はどこの法技術に拠っているのか。プロイセンとフランスでは、同じ大陸法の系譜とは言え解釈技術も異なるし、さらにややこしいことに、帝国大学の法学者のなかには、英米法を吸収したものも多い。大陸法と英米法は、とりわけ後者が判例重視である点において、根本的に異なる。法の継受と影響はよく言われるが、近代日本の法解釈の継受と影響はどうなっているのか。法学者には常識かもしれないが、何も知らない私は大変気になる。