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中世異端史 [Medieval Spirituality]


H・グルントマン(今野國雄訳)
中世異端史(創文社歴史学叢書)
創文社 1974年 173+13頁

1.序文
2.フランク王国の異端
3.西欧における最初の異端者集団
4.教会改革および叙任権闘争の時代における異端
5.12世紀前半期の異端的な巡歴説教師と諸分派
6.12世紀における神学者に対する異端者裁判
7.カタリ派
8.ヴァルドー派とフミリアティ
9.教会の異端対策―異端審問の成立―
10.13世紀における聖霊派異端と哲学的異端
11.14世紀における異端的なベギニ派とベガルディ派
12.フス戦争にいたるまでの政治と異端

原注(略記法一覧)
訳者あとがき
索引

* * * * * * * * * *

日本で唯一のグルントマンの翻訳である。中世初頭から後期に至るまでの異端と呼ばれた集団の通史であるが、短いながら大変よくまとまっている。訳文も渋みがあり、たぶん今の若い世代がこのような日本語を書くことは無理である。だから若い世代は無教養だというわけではなく、すでに日本語のリズムが違っているのである。流れるように速読することはできないが、立ち止まって考えさせるような息の継ぎ方を要求し、読んでいると勉強しているなという気持ちになる。

正統が異端と決めるから異端になるのであって、異端を自称する集団が最初からいるわけではない。したがって異端を知るためには正統が残した文書を知悉しておかねばならない。いわゆる「駁論」や「異端者目録」といった教父学の範疇にある史料類型がその出発点となるのだろうが、盛期中世や後期中世にも似たような史料は少なからずある。ただ、後世の史料は教父時代の文言の焼き直しであることがほとんどである、らしい(私は読んだことがない)。それが正しいとすれば古代末期の範疇が中世の宗教システムを規定し続けているわけである。そう考えると異端史などというものは、正統による異端規定観念の変遷史であり、教父文言の解釈史である。現在の法律、とりわけネット空間に対する法律でもそうだが、想定外の状況が出てきた場合、そのとき入手できる条文を無理やりにでも解釈して目立つ連中を絞めつけようとする。古い皮袋で新しいぶどう酒に対処しようとするようなものだが、異端生成のプロセスもそれに似ている。異端からの視点ではなく、正統からの視点で描かれた異端史ってないのかね。

いい加減すでに第三版を迎えたランバートの翻訳もあってもよかろうと思うのだが、そんな話はとんと聞かない。聞こえてきてほしいものだが。このグルントマンの名著も長らく絶版で、何年か前に復刊されたのを私は購入した。それまではコピーで読んでいた、いや読まされた。母校には、総合図書館にも研究室にもなく、なぜか社会科学研究所の付属図書館に一冊だけあった。ただ、より手軽なものとして、
甚野尚志『中世の異端者たち』(世界史リブレット)(山川出版社 1996)

がある。章建てなどはグルントマンとそうかわらないが、幾分読みやすい。上で述べたような「正統からみた異端史」のような別の物語が、そろそろ描かれてもよいのかなあと思う。

なお本書がその一角を占める創文社の歴史学叢書は、中世史に関しては名著揃いである。正確には覚えていないが編集に、増田四郎、堀米庸三、世良晃志郎、鈴木成高がいたように思う。全員中世史家だから中世史が充実するのは当たり前といえば当たり前である。このような教育的な翻訳叢書をもう一度どこかの出版社が引き受けてくれればとは思う。でも今の学生は買えと言っても本を買わないと聞く。確かに授業料も生活費も今は信じられないくらい高く、自活をするような学生にはそこまでの余裕はないのかもしれない。しかし文学部の学生なんて本を読んで教養をつけるくらいしかアドバンテージがないだろう。ろくにバイトもせず親の懐をチューチュー吸っているような連中は何をしとんかね。

写真はヘルベルト・グルントマン(1902-70)。ランプレヒトの学統が残るライプツィヒ大学で中世史を専攻し、ケーニヒスベルク大学、ミュンスター大学を経て、MGHの総帥となる。教授資格は1933年に得たが、大学を席巻した国家社会主義にまつろわなかったがゆえに、終戦を迎える44年まで私講師の地位に甘んじなければならなかった。苦学者である。


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