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中世の美術 [Arts & Industry]

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吉川逸治
中世の美術(西洋美術史3)
東京堂 1948年 348+27頁



第1部
第1章 カタコンベの芸術
第2章 「教会の勝利」後のローマ帝国に於ける初期キリスト教芸術

第2部 東方キリスト教芸術
第1章 東方初期キリスト教芸術
第2章 ビザンティン芸術

第3部 西ヨーロッパの中世芸術
第1章 中世初期の芸術
第2章 ロマネスク芸術
第3章 ゴシック芸術
第4章 イタリアとゴシック芸術
第5章 中世後期の芸術

参考書
索引

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どの学問分野にも古典の名著というものがある。修道院史なら今野國雄、科学思想史なら坂本賢三、一般史なら堀米庸三らの通史的作品である。彼らの学説は時間の経過の中でもはや検討に耐え得ないものもあるが、古典の通史はそういう読み方をするものではない。叙述の構造が古典を古典たらしめているのである。初学者は導入として読み、中堅は講義ノートの模範として読み、ベテランは自らが凌駕すべき通史として読む。そういった意味で、本書は中世美術における古典である。

権威者による通史というだけで忌避する向きもある。横のものを縦にしているだけでつまらんだろう、と。アホ、読んでからモノを言え。たとえばヒエロニムス・ボッシュについての評釈を長いが引用しておく。

「イエロニムス・ボーシュ(1450年頃-1516年)は、この第十五世紀のフランドル大画派の最後を飾るべき奇才である。彼の画ほど、中世的秩序の解体を示すものはない。その宗教画、『三博士礼拝』(マドリ)やキリスト受難諸図などに、この画派の伝統に従った聖伝諸人物の描法、あるいは風景の取り扱いが認められる。しかし、そこに群がる俗人の姿は、昔の敬虔な群集ではない。中世社会のどん底が明るみに溢れ出る。乞食、悪党、片輪者、気狂いの群れが画面を闊歩する。手品師に気を取られる見物人から盗人が財布をとる(サン・ジェルマン美術館)。強靭の群れが奇妙な船にのって、大海のなかで打ち騒ぐ(ルーヴル)。しかし、そこに一種の逞しさ、笑いがある。苦難のキリストを嘲る群集は、幾世紀以来中世社会の下積みになって、じょうだんや嘲笑に生活力を暴発させ、会堂の石彫や小喜劇の中にその滑稽な姿をあらわしてきた人民である。ボーシュのこの側面はブリューゲルに承けつがれると共に、彼のデリケートな色調感、粘り強さのある色彩は、すでに近世フランドル絵画の色調を思わせる芸術的資質を示している」(315-16頁)

これが美術史家の文章である。今の日本に、吉川以上に中世社会の一側面を描き出す筆力のある一般史家がいったいどれほどいるだろうか。通史は論文とは違う。最新の成果をただ漫然と並べればよいというわけではない。限られた紙面で情報を取捨選択し、客観的事実と主観的判断を交えながら、一つの世界を読者に髣髴とさせる。ちなみに原文は旧仮名遣い。

吉川逸治(1908-2002)は日本の西洋中世美術研究の草分け。パリから帰国後、長年東京大学で教鞭をとる。のち学士院会員。パリ大学での学位論文は、サン・サヴァンにあるロマネスク期修道院の壁画研究であるL'Apocalypse de Saint-Savin. Paris: Les Editions d'art et d'histoire 1939である。OPACではIstuji [sic] Yoshikawaとなっているので、名前が間違って印刷されたようだ。日本の西洋中世美術は、現地でなければ満足のいく研究ができないということもあって、海外で学位を取得し、現地アカデミズムと密接な関係を築いた人が多い。辻佐保子や越宏一もそう。

わたしは神田で300円で手に入れた。なぜ復刊されないのかよくわからない。写真はサン・サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院。いまは世界遺産に登録されている。

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