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大聖堂 果てしなき世界 [Literature & Philology]

大聖堂 果てしなき世界.jpg
ケン・フォレット(戸田裕之訳)
大聖堂 果てしなき世界(上)(中)(下)
ソフトバンク文庫 2009年 671+680+670頁

一年ほど前読んだ『ダヴィンチコード』があまりにつまらなくて、歴史ものは当面いいやと思っていた。本屋に山積みになっていたので、片道2時間の道行の友にと思って購入。いや買ってよかった。合計千ページだけど、すぐに読めました。そして面白かった。ただしかなり暴力描写があるので(中世だから当たり前だけど)、そうした場面の嫌いな人にはおすすめしません。

舞台は1327年11月1日から1361年11月までのイングランド。エドワード3世の時代であり、『薔薇の名前』とも重なる。主人公と思しきは、建築職人マーティン、その弟である騎士ラルフ、羊毛商人の娘カリス、日雇い労働者の娘グウェンダの四人。彼らの集合人生が、この物語の柱である。

中世史専攻ならばこの時代と聞いてすぐに思いうかべるのが、百年戦争とペスト。人災と天災を背景に、司教座教会、領主、修道院、商人、織物業者、農民、そして無法者らの生活を細部にいたるまで描き出す。自由都市特権、書物医学と経験医療の対立、鞭打ち苦行も秀逸。個人的に面白かったのは農民たち。彼らはしばしば無知で虐げられる存在として哀れみの視線を投げかけられてきたが、本作では最も生き生きとしているように見える。相続税をめぐって領主と駆け引きをし、口裏を合わせて役人を欺き、商品作物のセイヨウアカネで一儲けを試み、借地農から自由農民の地位を得ようと模索する。実はこのような「知恵ある農民」の姿は、比較的最近の農村史研究でも強調されつつある論点である。

トマス・ベケットの時代を背景とした前作はずいぶん昔に読んで内容も忘れてしまったが、『薔薇の名前』とはちがい爽快な読後感があったことは覚えている。下巻に収められている児玉清によるあとがきはとてもいい。児玉清って誰、と思ってググったら、1934年生まれのアタック25の司会者でした。英語も達者のようで、『大聖堂』を原著で読んでいる。

著者は1949年ウェールズ生まれ。『大聖堂』の舞台となるキングスブリッジは架空の町。しかしモンマス大司教区の中にあるということで、現在のウェールズであることはまちがいない。著者の故郷である。

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