史学雑誌(2008年の歴史学界 回顧と展望) [Historians & History]
史学雑誌118編第5号(2008年の歴史学界 回顧と展望)
山川出版社 2009年 421頁
総説
歴史理論
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執筆者紹介
編集後記
会告
史学文献目録
英文目次
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『史学雑誌』の創刊は1889年12月。本年をもって120年の歴史となる。一部からは官学アカデミズムの牙城と揶揄されながらも、歴史に携わるものであれば常に目を配っておかねばならない。とりわけ毎号巻末に掲載されている文献目録と毎年第5号で特集が組まれる「回顧と展望」である。
「回顧と展望」は、前年度の歴史学界の動向を知るために不可欠である。各分野の専門家が、自身の価値観にしたがって数十本から数百本の関連文献を渉猟しコメントを付す。最近印象に残っているのは、110編「ヨーロッパ(中世)」(岡崎)、111編「イギリス(中世)」(鶴島)、117編「ロシア・ビザンツ」(橋川)である。世間に配慮して論文の要約のみで終わる向きが多いなか、こういった極端なものは読み応えがある。もちろんその評価の当否は別である。
今年最も印象が残った箇所。「しかしその一方で各執筆者の意識は欧米での先行研究に向けられがちであり、国内での研究史を形成しえていない。いまや欧文で論文を執筆することは特別なことではない。日本語で書くということの意義について、より自覚的である必要がある」(古代ギリシア:304頁)。他方で「国際学会に研究成果を問う姿勢が西洋中世史研究者の間に定着するのを切に願う」(中世一般:313頁)。この差はなんだ。
私は寡聞にして「国内での研究史」など知らない。大塚史学だの戦後歴史学だのは確かにあった。しかしこれらの「研究史」も、仮に意味がある(あった)というのであれば、世界の研究コミュニティの審問を受けてみるがいい。そもそも西洋史をやっていて「国内の研究史」に何か意味があるのか。たとえば「アテーナイ民主政の成立」について、ギリシアの研究史やアメリカの研究史があるのか。それとも海外向けの論文と日本向けの論文は区別し、後者はレベルダウンして書くべきなのか。まったく理解できん。ある問題設定に対する研究史など、世界中に一つしかあるわけないだろう。誰か他の人が言ったことをもう一度いったところで、それに学問成果としての価値は何もない。そもそも欧米の研究史をなぞることが研究史を書くということではない。本人の関心に従って論文を集めた結果、先人が欧米人であったというだけのことである。欧米での研究成果を無視して日本の研究史だけで卒論を済まそうとするならば、少なくとも私の母校では留年である。いまだにヨコのものをタテにして、はい論文、といっている西洋史家がいるなど信じたくはないが…。
ときおり、自分の論文が評価の対象となっていないことに不満を漏らす向きがある。学閥や私怨はこのさい措くとして、それ以外の理由が二つ考えられる。ひとつは単純に「論文」としての価値がない場合。論文とは従来の研究史に十分な証拠をもって新しい何かを付け加えることが最低条件である。それを満たさぬものは論文とは呼ばない。ただのレポート。もう一つは、本人が史学会宛に抜き刷りを送っていない場合。回顧と展望用の論文は史学会側で勝手に準備してしかるべきと考えている連中に私は何人もであったことがある。あのさ、雑誌の編集で忙しいスタッフがなんで何千本もの論文を毎年集めないといけないのか。じゃあ抜き刷りのない論文はどうしているのか。回顧と展望の執筆者本人が史学雑誌の文献を手がかりに駆けずり回って、入手困難な紀要やマイナー雑誌をコピーして集めてんだよ。研究コミュニティがあると信じているからこそ、著者たちは煩を厭わず、やっていると思うのだが。