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イブン・ジュバイルの旅行記 [Sources in vernacular]

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イブン・ジュバイル(藤本勝次/池田修監訳)
イブン・ジュバイルの旅行記
講談社学術文庫 2009年 509頁まえがき
凡例
ヒジュラ暦・西暦対照表
イブン・ジュバイルの旅程

1.グラナダ~エジプト
2.メッカ巡礼
3.聖都メッカ
4.メディナ~バグダード
5.マウシル~アレッポ
6.ダマスクス
7.アッカ
8.シチリア~アンダルス
学術文庫版あとがき

* * * * * * * * * *

原著は1992年刊。前から欲しかったのだが、一向に古本屋にならばず。そんなところに文庫版の復刊。ある中世シチリア研究の第一人者が、「僕が学生の頃は翻訳がなくて苦労してねえ」といっていたのを思い出した。

なぜ読みたかったのかというと、8章にシチリアの事が触れられているからである。ジュバイルが滞在したのはノルマン・シチリア朝のグリエルモの時代である。思ったほど具体的な情報は出ていなかったが、ジュバイルからは早く改宗してしまえと思われていたのが面白かった。心のうちではあれこれ思われつつも、三つの文明がまあ何とかやっていたのが12世紀のシチリアである。その有様はこれこれに詳しい。あとシチリアとアルアンダルスとマグレブをまとめて記述することはできないのかと思った。『辺境のダイナミズム』の該当箇所では、シチリアとアルアンダルスは確かに取り上げられている。しかしこれは、いずれキリスト教世界に回復されるイスラム化地域を遡及的に措定し、恣意的に切り取っているに過ぎない。「ポスト・レコンキスタ」が「正常な」すがたであるとするヨーロッパ側に立つ偏見といわれかねない。イスラーム側の世界/地域認識の中でシチリアやアルアンダルスがどのように理解されていたのか、ヨーロッパ史家も知っておく必要があるのではないか。

あとがきで印象に残った箇所がある。「…イスラーム領域内の、特にメッカ巡礼を目的とした旅にくらべ、北欧や北アジアおよびサハラ以南のアフリカへの旅にはあまり関心が払われていなかった観がある。これはおそらく、イスラーム教徒にとってイスラーム世界は他とくらべはるかに先進地域であり、かつ自己充足的であり、これ以外の地域は余分な存在と受け止めていたためと思われる。イスラーム教徒は世界をダール・アルイスラーム(イスラームの館)、それ以外をダール・アルハルブ(戦争の館)またはダール・アルクフル(不信の館)と区別してとらえていたため、これらの地域は不要なものであり、かつ危険であると理解していたようである」(488頁)。イスラームの世界観は学部のイスラム学の講義で習ったので知らなかったわけではないが、それが地理書に反映しているのは、当たり前といえば当たり前だが、納得した。西洋史家としては「ダール・アルクフル」の情報こそ欲しいのだが…。

アラビア語の旅行記はかなり日本語に訳されている。本書の監訳者藤本も、本書以外に『シナ・インド物語』と『インドの不思議』を世に出している。しかしこの分野最大の貢献者は言うまでもなく家島彦一である。記念碑的なイブン・バットゥータ『大旅行記』(東洋文庫)全8巻に加えて、『中国とインドの諸情報』(東洋文庫)全2巻がある。さらにこの9月には同じ東洋文庫から、イブン・ファドラーンの『ヴォルガ・ブルガール旅行記』も予定されている。これは北欧やロシアに関心のある向きには必読書である。以前家島の奉職先の紀要に全訳が掲載されたが、それをさらに訳しなおし、注をつけ、さらに関連する文献の翻訳も併載された決定版である。旧訳に基づいたその梗概はこちらで紹介されている。世界的学者による注訳書を3000円程度で手にできるわれわれは幸せである。

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