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中世の秋 [Classics in History]

中世の秋.jpg
ホイジンガ(堀越孝一訳)
中世の秋 2巻
中公クラシックス 2001年 440頁+450頁

『中世の秋』を書くホイジンガ(堀越孝一)

1.はげしい生活の基調
2.美しい生活を求める願い
3.身分社会という考えかた
4.騎士の理念
5.恋する英雄の夢
6.騎士団と騎士誓約
7.戦争と政治における騎士道理想の意義
8.愛の様式化
9.愛の作法
10.牧歌ふうの生のイメージ
11.死のイメージ
12.すべて聖なるものをイメージにあらわすこと

以下下巻
13.信仰生活のさまざま
14.信仰の感受性と想像力
15.盛りを過ぎた象徴主義
16.神秘主義における想像力の敗退と実念論
17.日常生活における思考の形態
18.生活のなかの芸術
19.美の感覚
20.絵と言葉
21.言葉と絵
22.新しい形式の到来

* * * * * * * * * *

堀越孝一と堀越宏一は違いますよ。両者ともたしかにフランスの中世末期を専門としているが、本書の訳者は1933年生まれの学習院大学名誉教授、後者は1957年生まれの東洋大学教授。『ものと技術の弁証法』の著者である。

中世に関心を持っていて本書を手に取ったことがない人はいないだろう。ただし通読した人がどれくらいいるかはわからない。『中世の秋』にせよ『封建社会』にせよ、分量は結構あるから。でも、読まないとダメだと思う。非常に色彩感覚に訴えかける文章なので、カラー写真でもあればいいのだけれど、それはさすがに望蜀か。

文化史やアナール派の先駆者といわれて久しいホイジンガだが、読み返すに、史料に対する感覚も鋭い。当時のアカデミズムでは歴史=政治史であり、用いられる史料は行政文書である。ホイジンガはそれが気に入らない。法制史家がうち棄てた叙述史料にこそ、当時の人の息遣いがのこっていると信じるのだ。それは正しい感覚である。行政史料か叙述史料かではなく、自分が何を知りたいのか目的を明確にすることによって、おのずと用いられる史料は決定する。もちろん現在では行政史料から同時代の文化や心性を読み解く歴史家もいるが、『中世の秋』が刊行された1919年はまだそんな時代でもなかったようである。パリ講和会議の年であるが、この会議において、かのチャールズ・ホーマー・ハスキンズはアメリカのウィルソン大統領と同席していたのだということを思い出した。中世史学も若かった時代である。

学部の頃は講義を自主的においとまして日がな一日こういった息の長い古典を読んでいたが、今はそんなゆとりある生活も許されなくなってきた。8月末に学習院大学に入る機会があったので、大学に敬意を表して新幹線の中で読み始め、ようやく終わった。再再読である。以前は中公文庫でよんだが、この中公クラシックスはさらに訳文に手を加えているらしい。よほど愛着があるというか、ほとんど人生の同伴者である。堀越孝一の名は、この訳書とともに知識人のなかで今後ずっと思い起こされるだろう。奇天烈な日本語を書く人だが、この訳業は素晴らしいと思う。


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