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ローマの遺産 [Arts & Industry]

ローマの遺産.jpg
フェデリコ・ゼーリ(大橋喜之訳)
ローマの遺産 〈コンスタンティヌス凱旋門〉を読む
八坂書房 2009年 258頁

序(マルコ・ボーナ・カステロッティ)

第1講 Prima conversazione
第2講 Seconda conversazione
第3講 Terza conversazione
第4講 Quatra conversazione
第5講 Quinta conversazione

付録
G・A・グァッターニ『ローマ図説』抄
ファミアーノ・ナルディーニ『古代ローマ』抄

訳者あとがき

Federico Zeri
L'Arco di Constantino. Divagazioni sull'antico
Milano:Skira 2004

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かのコンスタンティヌスの凱旋門をめぐる精神史。単なる美術史ではなく、古代ローマから近代へと至る、凱旋門の受容史である。だから、古典古代学者だけでなく、中世学者にとっても近代学者にとっても興味深い指摘があちこちでなされている。

「中世はわたしたちにとって―現在の西欧のことを言っているのです―なにかはかりしれないほどに遠いものなのです。わたしたちは中世の心性を理解することができないのです。たとえば、中世に制作された所謂〈写し〉というものをかんがえてみましょう。ある君主はエルサレムへ赴き、郷里に帰ると聖墓を写させた、というような一行を読んだとします。そしてこの聖墓を見に出かけ、なんだかそれが全然違っていることに気づきます。さて。中世にあって、聖なる建物の写しと言えばその平面プランを意味していました。平面図の計測をしてみると、しばしば数センチと違わないことが分かるのです。驚くべき正確さです。一方、建物自体の造作は全く違ってもかまわなかったのです」(217頁)。

イタリアという世界で最も中世を身近に感じることのできる空間に生きていたからこそ、中世世界を研究することの困難さを肌で感じていたのであろう。わたしのような外国人にとってもヨーロッパ中世はたしかに遠いものであるが、あははー面白いねえですむ世界でもある。ゼーリにとってはそうではなかった。本来あるべき姿のコンスタンティヌス凱旋門について語りたいと思っても、そこには越え難い中世の壁が立ちはだかっていた。中世を知るからこそわかる中世に対するそら怖ろしさとでもいえようか。そのような靄をかき分けていくのが、中世学者の仕事でもあるのだけれど。

なお、この聖墓と中世の関係については次の論考があるのを思い出した。
千葉敏之「都市を見立てる 擬聖墳墓建造にみるヨーロッパの都市観」高橋 慎一朗・千葉 敏之編『中世の都市 史料の魅力、日本とヨーロッパ』(東京大学出版会 2009年)

ゼーリは著名な中世美術史家であるが、大学に所属していたわけではない。こちらにあるように、膨大な蔵書と写真を個人で所有し、組織に縛られることなく研究を進めていたインディペンデント・スカラーである。死後、彼はその土地も資料もボローニャ大学に寄贈した。イタリアは相続税がほとんどかからないと聞くが、そのような税制であるからこそ、ゼーリのような貴族然とした研究者が生まれるわけである。…いいのか悪いのか。



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