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大聖堂 [Arts & Industry]

大聖堂.jpg
パトリック・ドゥムイ(武藤剛史訳)
大聖堂
白水社クセジュ 2010年 161頁

序 大聖堂とは何か
第1章 西暦1000年以前の司教とその教会
第2章 聖堂参事会、大聖堂の魂
第3章 大聖堂の黄金時代(1140-1280年)
第4章 傷ついた大聖堂、再発見された大聖堂

訳者あとがき
参考文献

Patrick Demouy
Les cathédrales(QUE SAIS-JE? 3644)
PUF Paris, 2007

* * * * * * * * * *

これは勉強になった。専門家による大聖堂の本はいくつかあるが、本書のように数値を重視する建築史家(だと思う)が社会史的に論じたものは、意外に少ないからである。著者はランス大学(というのがあるそうな)の教授で、ランス大聖堂に関する研究で博士号を取得した。ランス大好きっこである。

「ジャン・コスも強調しているように、建築の歴史とは、内部空間をできるだけ広げ、採光窓を大きくあけるべく、いかにして重い石材の使用量を減らしてゆくかという、建築師の絶えざる戦いにほかならない。古代エジプトの多柱造りのホールでは、…石材量は、建物の容積の35パーセントにも及んでいる。…ゴシック建築に至って、石材の容積比は急激に下がり、約9パーセントになった」。(70頁)

この認識が正しいのかどうかわたしにはわからないが、眼からうろこが落ちたような気がした。先日三十三間堂(1164年着工と書かれていたので、ウプサラ大司教座の創設と同年)をまわったとき、イギリス人が「なんで宗教建築なのに高くないのか。仏教は天国という観念はないのか」と言うので、「天国云々はともかく、西洋だってロマネスク以前はべつにそそり立ってねーだろ」と返した。ゴシック以前の西洋中世最大の宗教建築はクリュニー修道院だと思うが、ゴシックまでは建築が天に向かうという観念はなかったのだろうか。ここは建築思想史の人にきいてみたいところ。

あと、中世の石工組合と近世のフリーメーソンは全く関係ないとかかれていた。あたりまえだっつーの。

あとがきによれば、ドゥムイは、15世紀ランス大聖堂の聖歌隊の少年を主人公とした歴史小説『少年と大聖堂』を物したそうである。大聖堂を舞台にした小説にはこちらの名作があるので、それとどう差別化されているのか興味をひかれる。フォレットは一流の歴史家に協力を仰いだが、それでも彼自身は歴史家ではない。対しドゥムイは、史料解読を生業とする歴史家である。細部は申し分なかろう。あとはエンターテイメント性がどれほどか、である。誰か訳してくれんかねえ。

こちらもどうかと思ったが、本書もあとがき(12頁!)で訳者がしゃべりすぎである。翻訳自体は癖がなく、とても読みやすい。


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