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ミクロコスモス [Intellectual History]

ミクロコスモス.jpg
平井浩編
ミクロコスモス 初期近代精神史研究 第1集
月曜社 2010年 368頁

論文&研究ノート
I. 生命と物質
- 記号の詩学:­パラケルススの「徴」の理論(菊地原洋平)
- ルネサンスにおける世界精気と第五精髄の概念:ジョゼフ・デュシェ-ヌの物質理論(平井浩)
II. 空間の表象
- 画家コペルニクスと「宇宙のシンメトリア」の概念:ルネサンスの芸術理論と宇宙論のはざまで(平岡隆二)
- 百科全書的空間としてのルネサンス・マニエリスム庭園(桑木野幸司)
III. ルドルフ二世とその宮廷
- アーヘン《トルコ戦争の寓意》シリーズに見られるルドルフ二世の統治理念:《ハンガリーの解放》考察を通して(坂口さやか)
- ハプスブルク宮廷におけるディーとクーンラートのキリスト教カバラ思想(小川浩史)
IV. 知の再構成と新哲学
- 伝統的コスモスの持続と多様性:イエズス会における自然哲学と数学観(東慎一郎)
- ニコラウス・ステノ、その生涯の素描:新哲学、バロック宮廷、宗教的危機(山田俊弘)

翻訳
- ゴルトアマー「初期近代の哲学的世界観、神秘学、神智学における光シンボル」(岩田雅之訳)
- フィチーノ『光について』(平井浩訳)
動向紹介
- ルネサンスの建築史:ピタゴラス主義とコスモスの表象(桑木野幸司)
- ノストラダムス学術研究の動向(田窪勇人)
- ルネサンスの新しい身体観とアナトミア:西欧初期近代解剖学史の研究動向(澤井直)

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前近代の思想史に関心ある者が長らく待ち望んでいた論集の第一弾。かつてであれば思想史の裏街道と見なされがちであった中世末期から近世にかけての諸思想、とりわけ自然哲学を、同時代のロゴス・コンテクストの中に落とし込み、ヨーロッパ精神の豊穣さを紹介する諸論考を収める。本論集とかかわりの深い思想水脈は、『西洋思想大事典』、「ヴァールブルク・コレクション」、コーペンヘイヴァー『ルネサンス哲学』に代表される平凡社の一連の書物や、ありな書房、工作舎などの翻訳を通じてある程度は紹介されてきた。そのような蓄積を踏み台とした日本人研究者―それも多くは若手―が、同時代テクストと格闘しながら切り出したオリジナルな時代像を、一同に会する場を提供するのが本論集である。

本論集は、個別論文の単なる寄席集めではない。いずれの論考も、個人の思想(ミクロコスモス)を読み解くことで、その個人が置かれた時代の世界像(マクロコスモス)にまで踏み込んでいる。そのような点において、すべての論文は相互連関性を持ち、論集そのものにひとつの統一性―多様性の中の統一―を与えている。おそらく準備されつつある続刊によって、その多様性はいっそう広がりながらも、初期近代という時代にはらまれる共通した色合いが浮かび上がってくるのではないかと思う。

さらに言えば、前近代西欧の自然哲学は、同時代のコンテクストで言えば決して思想史の裏街道などではなく、神による世界創造と関わってくるがゆえに(中世神学において最も重要なテーマのひとつである)、最も重要な思想潮流であることが周知されることになるだろう。前近代の自然哲学が蔵していた思想史的意義を学問の片隅に追いやってしまったのは、近代的理性を西洋哲学思想の根幹と見なす哲学史的理解である。少なくとも思想史家を自任する者は、このような知的に貧しい単線的教科書記述から身を引き剥がすべきである。

個人的にもっとも興味を引かれたのは、菊地原による巻頭論文。中世末期における徴と予言の関係は当該時代を扱った多くの書物で言及されるが、菊地原論文の場合、パラケルスス個人に焦点を絞り、ミクロコスモスとマクロコスモスの関係を念頭に置きながら、彼の手になると思しき思想書を年代順に読み解き、徴の理論の展開を跡付ける。微細な文献の文言調査を通じて同時代の世界像を浮かび上がらせる、思想史の醍醐味を味わえる論考である。

なお、出版を記念して、平井以下主要な寄稿者が参加するイベントが告知されている。

「インテレクチュアル・ヒストリーが挑む西欧近代像への新たな挑戦 『ミクロコスモス:初期近代精神史研究』出版記念トークショー」
日時:2010年3月13日(土) 17:00~19:00(予定)/開場16:30
会場:紀伊國屋書店新宿本店 9階特設会場

版元である月曜社のサイト(ここ)に詳細があるので、関心のある向きは足を運んでみてはいかがだろうか。知的な問題は、必ずしも大学の講壇ではなく、このような実験的な空間から広がっていくものである。出版関係者はこのような場で、将来の書き手を青田刈りしておけば良いと思うのだが。

編者については説明するまでもない。リール第三大学に提出された博士論文に基づく大著『ルネサンスの物質理論における種子のコンセプト マルシリオ・フィチーノからピエール・ガッサンディまで』をベルギーのブレポルスから刊行し、現在は二冊目の著作をオランダの老舗ブリル書店から刊行する準備に入っている。ウェブ上での活動にも熱心で、1999年よりbibliotheca hermeticaを主宰して中世後期から近世を中心とした思想史の若手を糾合すると同時に、パリ第5大学医学史図書館と協力し、「科学革命の医学的コンテクスト」と題した、従来の研究史では零れ落ちていた稀覯テクストの電子テクスト化もすすめている。初期近代の生命思想の第一人者として世界の最先端を自ら切り拓く、言葉の真の意味での研究者である。

日本人が世界の学問に貢献するというのは、彼のような活動をもってしてである。つまり、徹底的な研究史の調査の上で、これまでに明らかとなっていない歴史的事実を掘り起こし、その事実を説得的な論理と肉付けで提示し、それを英独仏といった学問的普遍言語で世界のアカデミアの中に投げ返すという、単純きわまりない作法である(さらに付け加えれば、平井の諸論考には、独特の物語性というか色気がある。彼のサイトにPDFがアップされているので、関心のある向きは読んでみればよい)。日本の西洋学にありがちな、日本独特のやり方とか気持ちの悪いことを言う必要は全くない(かりに「日本独特のやり方」が学問的妥当性を持っているのならば、それは自然と世界のアカデミアの中で優位性を持ち始めるはずである)。


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