ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ [Medieval History]
ウィリアム・H・マクニール(清水廣一郎訳)
ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ、1081-1797年
岩波書店 2004年(1979年)
はじめに
第1章 レヴァントへのフランク人の進出 1081-1282
第2章 強国ヴェネツィア 1282-1481
第3章 文化交流 1282-1481
第4章 周辺的国家ヴェネツィア 1481-1669
第5章 文化的メトロポリス、ヴェネツィア1481-1669
第6章 ヴェネツィア、対外影響力を失う1669-1797
原注
訳者あとがき
人名・地名索引
William H. McNeill
Venice. The hinge of Europe 1081-1797
Chicago: The University of Chigago Press 1974
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旅行業界が推薦するイタリアの観光名所は、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアの三都市と相場が決まっている。旅なれたものであれば、いまさらそんなところに…というだろうが、名所には名所といわれるだけの理由がある。それは何度訪れても新しい発見がある、ということである。とりわけヴェネツィアは、歩くだけで楽しい。曲がりくねった隘路を抜けると、そこには光差す広場があらわれる。その繰り返しがヴェネツィア遊歩の基本だけれども、次々と出会う隘路も広場も見せる表情が全く違う。
日本でヴェネツィアに関する本は少なからず出ているが、歴史学的に包括的なものは私の知る限りこれ一冊だけである。かつてい黄色い表紙の岩波現代選書で刊行されたが、表紙を付け替えて復刊された。読み返しても、古いという感じを受けない。日本で通史を書ける人がいないのであれば、ヴェネツィアのどこの本屋でも山積みになっているフレデリック・レーンかアルヴィーゼ・ゾルツィの通史を翻訳してほしい。マクニールは地中海空間の中にヴェネツィアの歴史を位置づけているが、レーンとゾルツィは都市国家としてのヴェネツィアをその内部組織から記述しようとしている。
アドリア海を望むヴェネチアの歴史は、ほとんど中世地中海世界の歴史と同一である。地の利を生かした交易活動で財を成したヴェネツィアは、西欧世界とビザンツ世界を結ぶかなめとなり、第4回十字軍では。中世後期は東地中海世界各地に植民地を敷設し、ライヴァルジェノヴァと抗争を繰り返す。北ヨーロッパの中世都市概念では全く理解できない海上都市国家であり、だからこそ面白い。
マクニールは1917年にカナダのバンクーバーで生まれ、長年シカゴ大学で教鞭をとった歴史家。父も教会史の専門家であったらしいので、二世、それも成功した部類の二世となる。息子も歴史家であり環境史の専門家。専門は何かととわれれば、「世界史」と答えることの出来る数少ない歴史家。史料をガリガリ読んで研究論文を積み重ねていくという通常の歴史家ではなく、世界史のターニングポイントに着目しその変化の理由を大所高所からあとづける。邦訳も少なからずあり、
増田義郎・佐々木昭夫訳『世界史』(新潮社 1971年/中公文庫 2008年)
高橋通敏訳『国際協調の成立と崩壊』(アカデミー 1977年)
実松譲・冨永謙吾訳『大国の陰謀』(図書出版社 1982年)
佐々木昭夫訳『疫病と世界史』(新潮社 1985年/中公文庫 2007年)
高橋均訳『戦争の世界史 技術と軍隊と社会』(刀水書房 2002年)
いくつか読んだ感じだと、ブローデルよりは粗放でトインビーよりは詳密。最近中公はマクニールに限らずこういった世界史関係の文庫化をすすめている。売れているのかどうか知らないが、とてもありがたい。今後ともぜひ続けてください。
アカデミア美術館に行ってみたが、改修中でジョルジョーネの『テンペスト』もなく、がっかり。