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異端者たちの中世ヨーロッパ [Medieval Spirituality]

異端者たちの中世ヨーロッパ.jpg
小田内隆
異端者たちの中世ヨーロッパ
NHK出版 2010年 334頁

関連年表
序章 異端からのまなざし
第1章 正統と異端の地平
第2章 「身体」をめぐる抗争 カタリ派二元論
第3章 「言葉」をめぐる抗争 ワルド派
第4章 「富と権力」をめぐる抗争 フランチェスコ会聖霊派とベガン
第5章 キリストのための戦い
終章 権力の歴史へ

参考文献
図版出典図書一覧
あとがき

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中世キリスト教に関心のある向きは読んだほうが良い。いわゆる言語論的展開の洗礼をうけた後の中世異端研究を積極的に紹介している、日本で唯一のまとまった記述。大黒俊二『声と文字』にもまさにこの観点から異端を扱った節があり気にはなっていた。異端研究の専門家による紹介ということで、ありがたい限りである。

本書の主張はクリアである。「異端」は「正統」が創った、ということである。わたしたちはともすれば、キリスト教というのは、その成立以来、聖書に基づくひとつの教義のもとで二千年にわたりひとつの物語を紡いできたと思いがちである。しかしながら、聖書は4世紀までどの文書を正典とするのか決定していなかったし、425年のカルケドン公会議にいたるまで三位一体という、カトリックの根本教義すら定まっていなかった。初期中世にいたるまで、複数のキリスト教がそれぞれの主張を叫んでいたのである。

しかしながらとりわけグレゴリウス改革以降、教皇庁を中心とするカトリック教会システムは、正統とは何かを定め、それに反する異端について、教令、教会会議、聖職者による歴史叙述、異端審問記録といったもののなかに書き記した。わたしたちが異端を知りうるのは、ほとんどの場合、そうした教会側の史料を通じてである。とするならば、異端が本質的にどのようなものであるのかを問うのではなく、正統が何を異端と見なしたのかと問いを立てたほうが、生産的な議論をすることが可能である(わたし自身は極端な言語論的展開論者や構築主義者による不可知論には与しないし、そこまで禁欲的な態度をとるのであれば、ギンズブルクやナタリ・デーヴィスの議論など成り立つことはないだろう)。

アウグスティヌスの『異端について』(427年)やルキウス3世による教令「アド・アボレンダム」(1184年)にある異端目録や、インデックスとよばれる禁書目録からキリスト教を見直すと面白いものが見えてくるように思う。中世キリスト教世界が暗黒であったかどうかという現代人の価値基準に基づく非学問的な議論に足を突っ込みたい人にこそ、このような暗黒史観のもとになった史料が同時代の文化空間の中でどのような意味を持ち、いかなる波及効果をもたらしたのかを明らかにしてほしい。ノーマン・コーンやI・ムーアという研究者は、まさに中世の暗部を抉り出すという立ち位置で中世研究に向き合った人たちであるが、そのような志向性をもっていたがゆえに、よい研究成果を産み落とすことができたともいえる。



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