SSブログ

『思想』(特集:戦後日本の歴史学の流れ) [Historians & History]

思想2011年8月.jpg
『思想』1048号
岩波書店 2011年8月 164+32頁 1200円+税

- 思想の言葉(鹿野政直)
- 座談会:戦後日本の歴史学の流れ 史学史の語り直しのために(成田龍一・小沢弘明・戸邉秀明)
- インタヴュー:戦後日本の歴史学を振り返る 安丸良夫氏に聞く(聞き手:成田龍一)
- 違和感をかざす歴史学 史学史のなかの民衆思想史研究(前期および中期)( 成田龍一)
- 「中国史」が亡びるとき(飯島渉)
- 高橋・ルフェーヴル・二宮 「社会史誕生」の歴史的位相( 高澤紀恵)
- 史学史としての教科書裁判(大串潤児)

* * * * * * * * * *

本号を購入する歴史家は日本でどれくらいいるのだろうか。かつてであれば日本・東洋・西洋を問わず、読み込むことになっただろうが。

本特集が想定読者としたレキケン系の関心を持つ方とは異なると思うが(レキケンは元々青木書店ではなく岩波が発行元)、わたし個人が面白かった三本は、安丸インタビュー、中国史、社会史誕生。インタビューは安丸氏の主張に一本筋が通っている点、中国史論文は、欧米の中国史、中国の中国史、日本の中国史はそれぞれ色合いが異なり、日本の中国史研究を中国などでもっと知ってもらう必要性を説いている点(その逆もまたしかり)、社会史誕生はおそらく初めて二宮宏之を歴史化した点。

歴史意識や歴史感覚を中心に史学史を論じるのは日本(や東アジア)の特徴である。もちろん戦後日本史学史は現代史の一分野である以上、戦後史の重要トピックとの相応関係の中で位置づけるのが歴史学の作法である。それはわかるが、ちょっと息苦しい。歴史叙述の言い方を借りれば、それは事件史もしくは論争(言説)史としての史学史である。そろそろ広い意味での社会史としての史学史があっても良さそうなものである。仮に自分が講義用に用意するとして、追加すべき論点は以下のようになろうか。

1.史料研究の問題(刊行状況、考古資料、図像資料、言語コーパス、地理情報など)
2.大学制度、学統・学閥、図書館、学会、出版社の問題
3.留学機会、コピー機、インターネットの普及といった社会インフラの問題

「アナール」の扱いは相当気になった。なにか「アナール」という、旧態依然とした実証史学に対する社会史の牙城があるという印象を受けるが、そんな一枚岩的な雑誌は存在しない。バークの『フランス歴史学革命』に簡潔な整理があるように、『アナール』にも歴史がある。日本での『アナール』のイメージは第3世代から第4世代の研究、つまり心性史を指しているように思われるが、そもそも刊行当初は、地理学、社会学、経済学といった隣接諸学(とくに社会科学)との架橋が中心であったし、その後はブローデルに代表される社会経済史がながらく雑誌の看板であった。それは『アナール』の副題に如実に表れており、当初は「社会と経済」、次に「歴史、社会、文明」、現在に至っては「社会科学」である。

なお現在の『アナール』は、以前ほどの影響力はない。大学で時折目を通すが、このところグローバル・ヒストリーのようなテーマが席巻している。…そういうのは別の雑誌に任せれば良いと思うけど。

わたしが西洋史を専門としているからかもしれないが、同じ史学史でも成瀬治『世界史の意識と理論』は相当風通しが良かった。成瀬の仕事は、古典的な意味もあるし、もっと多くの人に読まれても良いと思う。ただしどれも情報が凝縮されているせいか読みやすくはない。奉職先のゼミでも学部生が四苦八苦している。にもかかわらず面白いと言ってくれるのが救いである。

通常史学概論の一部として教授される史学史的知識は史学科の学生にとって必要な知識だと思うが、正直なところ、1年生や2年生にいきなり講義してもほとんど意味はないように感じている(たとえ東京大学であっても)。歴史学の意義はこうであると判断するのは、歴史学の代表的な研究を読み重ね、試行錯誤の中でレポートを何本も何本も書き、わからないなりに史料と向き合うことを繰り返した段階での学生たちである。自分で作業をしてみなければ、偉大なる歴史家と凡百の歴史家との違いもわからないでしょう。わたしがたんに経験主義だからそう思うのかもしれないが。

* * * * * * * * * *

さて、専門上、本文内容より気になったのは、今年度下半期の予告。

竹下政孝・山内志朗編「イスラーム哲学とキリスト教中世」全3巻

全3巻だそうです。こうした企画でイスラム哲学と西洋中世哲学をばらばらに論じても意味がないのであって、相互の乗り入れや受容状態がどのようになっているのかを解き明かすことが肝要となる。現在の日本の現状を鑑みるに、編者が辣腕をふるって、執筆者に「難しいだろうけどここまで論じてくれ」とつつかないといけないでしょうね。できれば先ほどの西洋中世学会での山本芳久の報告が主張するように、ユダヤも取り込んだ論考があればなおすばらしいだろうが、そこまでは機が熟していないかもしれない。とりあえずあと3ヶ月待ちましょう。



共通テーマ:学問

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。