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共生のイスラーム [Medieval History]

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濱本真美
共生のイスラーム ロシアの正教徒とムスリム(イスラームを知る5)
山川出版社 2011年 120頁 1200円+税

イスラーム史におけるロシア・ムスリムの特殊性
第1章 草原のイスラーム化
第2章 『カザン史』にみる正教徒とムスリム
第3章 ムスリムの正教改宗
第4章 タタール文化復興の時代
第5章 ムスリム知識人の共生の思想

参考文献
図版出典一覧

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山川リブレットに準じた体裁。故佐藤次高が率いていたNIHU(人間文化研究機構)プログラム「イスラーム地域研究」が、一般向けに書き下ろした全12巻のシリーズの第5巻。一冊一冊は短いながら、佐藤や小杉と言った大御所から中堅、若手に至る日本イスラム学の前衛の筆になるだけあって、いずれも内容は濃い。

全体としては、沿ヴォルガ・ウラル地方を舞台に、「19世紀末までのロシアにおけるムスリムと正教徒の、平和的な共生への道のり」を描写することを目的としている。とりわけ第1章は草原のイスラム化という観点からキプチャク草原の15世紀までの歴史を概観しているため、中世史家にとっては有益。しかし、第2章の『カザン史』をめぐる問題系がわたしには一番面白かった。写本が250も残存しているにもかかわらず、この成立年代さえ確定できない(16世紀半ばから17世紀のいずれか)テクストは、ロシア史や中央ユーラシア史にとっては重要なテクストなのだろうと予想できる。ロシア史や東洋史の分野において、西洋中世研究で言うところの史料論やテクスト研究がどれだけ試みられているのかはわからないが(わたしの印象では、まだ文献学的考察にとどまっており、ほとんどなされていない。)、そうした試みを行うだけの価値のある史料のように思われる。ついでに言えば、翻訳が待たれる。

もう一つ面白かったのは、「コラム1 マリオットホテルが明かすバトゥのルーシ侵略」。ヤロスラヴリにマリオットホテルの建設予定地で発見された212体の遺体群を調査したところ、モンゴル侵入期のものが判明した。まあ大変な惨状であったらしい。このコラムの強調点は、近年のモンゴル史家は、モンゴルの平和的統治を主張するが、彼らの拡大期においては必ずしもそうではないこと。同じ事はヴァイキングにも言える。征服と支配には暴力がつきものであるという当たり前の主張であるが、研究者は往々にして自分の研究対象に愛を注ぎ、見たくない側面をそぎ落とす傾向がある。以前研究会でスウェーデン人が奴隷貿易に従事していたと言うと、そんな馬鹿な…という反応があったが、歴史と現在を混同してはいけません。

ヨーロッパ半島にキプチャク草原のような平野は、パンノニア平原を除けば、ない。だから平野の歴史というのはあまり問題になってこなかった。しかしマジャール人がハンガリー王国を打ち立てるパンノニア平原の歴史は大変面白い。ユーラシア世界から遊牧民族がヨーロッパに侵入するときは基本的にここを経路とするからである。西ヨーロッパ史を先行している限り、草原という地理空間は特別考慮するに値しないが、ヨーロッパ半島史という単位で捉えなおした場合、生活形態としての遊牧や移動手段としてのウマという要素と併せて、歴史叙述に組み込む必要が出てくるだろう。

著者の濱本は1972年生まれのシリーズ執筆者中再若手。すでに博士論文を加筆した『「聖なるロシア」のイスラーム 17-18世紀タタール人の正教改宗』(東京大学出版会 2009年)を刊行している。

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