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世界の尺度 [Literature & Philology]

ポール・ズムトール(鎌田博夫訳)
世界の尺度 中世における空間の表象(叢書ウニベルシタス795)
法政大学出版局 2006年 463+27頁

はしがき
序論
1.知覚されること
2.「中世」

第1部 居住地
3.場所と、場所でないところ
4.郷土
5.建造すること
6.都市

第2部 騎行
7.開かれること
8.道
9.巡礼者と十字軍参加者
10.遍歴の騎士

第3部 発見
11.宇宙
12.大いなる躍進
13.他の空間
14.見えない世界

第4部 形象化されたもの
15.旅を語る
16.地図の作成
17.絵図
18.作品の空間

エピローグ
19.調和と光

訳者あとがき
原註/参考文献追加分

Paul Zumthor(1912-95)
La mesure du monde. Représentation de l'espace au moyen âge.
Paris: Seuil, 1993, 438 p.

* * * * * * * * * *

いくらか読み進めたところで既視感を覚えた。なんだろうと思ったが、ああ、グレーヴィチと重なるんだと気付いた。いずれも中世人の身体感覚が記述の基礎にある。中世世界の客観的諸条件がどうこうというよりも、中世人の主観がそもそも違うのだから、中世世界は中世世界としてのまとまりをもつ。もちろん旧ソ連という辺土で正当な評価も得られないまま鬱々と考え抜いた末の中世世界と、世界的な中世文学研究者として欧米のみならず世界各地を遍歴した結果としての中世世界にはズレがある。グレーヴィチの世界が古い層への遡航だとするならば、ズムトールの世界は新しい層への跳躍。図式的に過ぎるかもしれないが、私はそう感じた。

ただ文化史と分類するにはもったいない。訳者はアナール派との類縁性を指摘するが、どちらかと言えばアナールに集う歴史家、特に第三世代以降がズムトールの諸説に影響を受けたのではないか。歴史学ではしばしば情報の口承性が問題となるが、それは文化人類学や民俗学の成果であると同時に、文学のテーマでもあった。私がズムトールの名前を知ったのは、
Paul Zumthor, La lettre et la voix de la "littérature" médiévale. Paris: Seuil, 1984, 346 p.

である。「文字と声」。仮にズムトールへアナール誌の感化があったとすれば、それは想像界や身振りがどうこうということではなく、人文地理学的諸要素が生み出す空間性への着目ではないか。ブローデルの例を持ち出すまでもなく、かつてのフランスの歴史学は地理学と極めて親和性が高く、平面図や空間的記述が随所に織り込まれていた。中世で言えば、早世したモリス・ロンバール(1904-65)が私の知る限り最良の空間感覚の持ち主であった。北欧史で同じことができるだろうか。

さて、本書は素晴らしい本だと思うが、翻訳のあり方について考えさせられるところも大きかった。それが専門書である場合、翻訳の普遍的課題である読みやすさを追求すると同時に、専門用語を正確な日本語に置き換える必要性が生じる。例えば、中世では慣用的に「伯爵」ではなく「伯」、「ジャン師」ではなく「司祭ヨハネス」もしくは「プレスター・ジョン」とする。固有名詞は可能な限り現地語読みにするのが近年の傾向であるが、それも徹底されていない。訳者はフランス文学が専門のようだが、このような瑕疵は中世を研究する大学院生であれば一読して誰でも気付くことである。基本語彙のチェックなど3日もあればできるのだから、非専門家が専門書を訳す場合、訳者が、さもなければ編集者がプロもしくは研究者として独り立ちする前の「セミプロ」に諮るべきであろう。個人的なツテがないという方もいるだろうから、出版社が協力してそうした一種の校正集団を確保しておけばよいのである。もちろんどんなに手を尽くしても誤訳はあるが、それを可能な限り少なくするのが原著者に対する最低限の礼儀でもあるし、読者にいらぬ誤解をさせぬための処方でもある。違いますかねえ。


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