聖ベネディクトゥス [Medieval Spirituality]
坂口昂吉
聖ベネディクトゥス 危機に立つ教師
南窓社 2003年 260頁
序
第1章 ローマ帝国の崩壊の原因
第2章 修道制
第3章 ベネディクトゥスの時代の政治情勢
第4章 ベネディクトゥス 修道への道
第5章 モンテ・カシーノ修道院
第6章 ベネディクトゥスの『戒律』
第7章 ベネディクトゥスの『戒律』における宗教的教育理念
第8章 ベネディクトゥスの『戒律』における「分別」の理念
第9章 ベネディクトゥスの遺骨の移転
第10章 『戒律』の最も重要な写本
第11章 『戒律』と『導師の戒律』
第12章 ベネディクトゥスの『戒律』の普及
第13章 『戒律』の勝利
第14章 13世紀より現代までの『戒律』の衰退と刷新
結
年譜と参考文献
あとがき
人名索引
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ベネディクトゥス(480-547/60)は修道制の基礎をつくった一人。彼による戒律は中世以降の修道制にとって決定的な役割を果たすが、本人について知られるところは少ない。ローマ近郊のエンフィデそしてスビアコでパコミオス(290-346)の修道生活を模倣し、その後弟子とともにモンテ・カッシーノに居を移した。本人に関する記述は教皇グレゴリウス1世の『対話』に限られる。
グレゴリウス1世(矢内義顕訳)「対話」上智大学中世思想研究所監修『中世思想原典集成5 後期ラテン教父』(平凡社 1993), 441-504頁
戒律の翻訳は、
ヌルシアのベネディクトゥス(古田暁訳)「戒律」上智大学中世思想研究所監修『中世思想原典集成5 後期ラテン教父』(平凡社 1993), 239-328頁
古田暁訳『聖ベネディクトの戒律』(すえもりブックス 2000)
が標準であろうが、古いものとして、
『ベネジクト聖父の戒律』(トラピスト院蔵版 1906)
ベネディクトゥスをめぐる研究はもちろん膨大にあるが、まとまったものとして、
上智大学中世思想研究所編『聖ベネディクトゥスと修道院文化』(創文社 1998)
また、目を惹いた論文に、
矢内義顕「聖ベネディクトゥスの『戒律』とその霊性」上智大学中世思想研究所編『中世の修道制』(創文社 1991), 97-119頁
鷲田哲夫「ベネディクト会修道院における学校・図書館・書写室の活動について」『早稲田大学大学院文学研究紀要』16(1970), 8-98頁
ここに日本語による文献一覧がある。
ベネディクトゥスが生きたヨーロッパ半島の6世紀というのは、ローマ帝国の解体と異民族の侵入が重なり、刺激的であると同時に歴史学的には接近の難しい時代であった。文献史料といえばトゥールのグレゴリウス(538-94)による『歴史十書』ばかりであり、時として時代像も史料的にも「暗黒の時代」と揶揄された。しかし中世考古学者や美術史家との連携により近年見直しが進んでいる。『ケンブリッジ版中世史』の第1巻の刊行が遅れた理由の一つには、編者の交代や原稿提出の遅延に加えて、歴史像が次々と変化した事がある。
Paul Fouracre(ed.), The New Cambridge Medieval History I, c. 500-c. 700. Cambridge: Cambridge UP, 2005, 979 p.
とりわけギイ・ハルソールによる第3章「The sources and their interpretation」は、座学だけでは如何ともしがたい6世紀研究の現状を伝える。また、
Richard Hodges & William Bowden, The sixth century : production, distribution and demand(Transformation of the Roman World 3). Leiden & Boston : Brill, 1998, 301 p.
他方、東地中海はユスティニアヌス帝(483-565)の時代である。
Michael Maas(ed.), The Cambridge companion to the age of Justinian. Cambridge: Cambrdige UP, 2005, xxvii+626 p.
ピエール・マラヴァル(大月康弘訳)『皇帝ユスティニアヌス』(白水社; 文庫クセジュ 2005), 182 p.
残存史料の多寡が時代像の明暗を分けることはできない。 かつては「暗黒の時代」の一条の光としてベネディクト戒律を看做していたようにも思うが、近年の研究は「暗黒の時代」というコンテクストを激変させた。歴史社会におけるベネディクト戒律の意味も再考される必要がある。