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中世ヨーロッパの社会観 [Classics in History]


甚野尚志
中世ヨーロッパの社会観
講談社学術文庫 2007年 286頁

序章 隠喩による社会認識
第1章 蜜蜂と人間の社会
第2章 建造物としてのキリスト教会
第3章 人体としての国家
第4章 チェス盤上の諸身分
終章 コスモスの崩壊

学術文庫版あとがき
図版の出典一覧
索引

* * * * * * * * * *

個人的に思い出深い本である。

もともとは1992年に『隠喩のなかの中世』として弘文堂から公刊されたもの。上智大学中世研究所の論文集のような『中世ヨーロッパの社会観』というそっけないタイトルよりも、原題のほうがはるかによい。何で変えてしまったのでしょう。

著者の甚野尚志は、1958年に福島県に生まれ、現在東京大学大学院総合文化研究科教授。かつて京都大学人文科学研究所の(今はなき)西洋部の助手をつとめており、この間にドイツのマックス・プランク研究所のオットー・ゲアハルト・エクスレ教授のもとに留学している。なお、この人文科学研究所には、かつて樺山紘一(印刷博物館館長)や中世論理学の世界的権威である岩熊幸男(福井県立大学)も、助手として在籍していた。

本書は、中世教会人のもつ、独特のメタファー思考の紹介である。蜜蜂、建築、人体、チェスといった、中世人の日常生活と深くかかわる物事を仲立ちとして、彼らがどのように社会を見ていたのか、具体的かつ明晰に論じられている。「こうした象徴主義は、事物を因果的あるいは発生論的に位置づけようとする思考様式と相反し、対立するものであった。つまり発生論的な思考が、事物のあいだの関係を、相互に内在する因果関係から導くのに対して、隠喩を媒介としたシンボル思考は、二つの事物のあいだに共有される特性があることを認めると、因果的な関係を無視して、両者を意味の照応関係のなかに引き入れるのである。それによって二つの事物のあいだには、同じ本質を共有するものとしての一種の神秘的な関係が設定される」(266-67頁)という見方は、いまなお啓発されるところは多い。

かつて樺山紘一や池上俊一が熱心にフランスの『アナール』の紹介につとめたが、他方で、70年代以降のドイツ中世学においても、きわめて興味深い社会史の成果が得られていたことは、意外に知られていない。ミュンスター大学の初期中世研究所が1968年から毎年公刊している『Frühmittelalterliche Studien』こそが、その牙城であった。初期中世と銘打っているが、掲載論文は別に初期中世に限られているわけではなく、古代末期からルネサンスまで幅広い。学際誌であるため、必ずしも歴史学のみではなく、文学、考古学、文献学、神学、美術史学の寄与も多い。ゲルト・アルトホーフ、オットー・ゲアハルト・エクスレ、ハーゲン・ケラー、アーノルト・アンゲネントといった重鎮も、この媒体で育ったといってもいいかもしれない。ドイツ中世史で最も権威あるの雑誌は『Deutsches Archiv』であろうが、切り口という点では『Frühmittelalterliche Studien』のほうが、はるかに先鋭的である。

しかしながらこの『Frühmittelalterliche Studien』に掲載される論文の足腰は、一朝一夕に鍛えられたものではない。ドイツ中世学の徹底した文献学的志向は、19世紀以来のものであり、19世紀末から20世紀前半にかけての、ほとんど奇跡とも言えるような、学知の成果があったからこそ、『Frühmittelalterliche Studien』の精華に繋がったわけである。もう少し具体的にいえば、かつては歴史学者から敬遠されていた中世神学、中世文学、教会考古学、ゲルマン学などが蓄積してきたデータである。残念ながら、日本で入手することは難しいものがほとんどであるが。グーグルががんばれば、いずれはウェブで見ることができるようになるのだろうか。

本書は、近代を迎えることで中世的世界観が崩壊したことにより、その象徴思考が失われたと結ぶ。「コスモスの崩壊」という表題は、アレクサンドル・コイレの著名な研究書のタイトルである。しかしながら、思想面における近世への移行は、ただ世俗化という問題で片付けることはできない。フィチーノらによるネオ・プラトニズムはあらたな象徴思考を生み出したし、教会的歴史観はなおもヨーロッパの思考様式を規定し続けた。ホイジンガやブルクハルトの名著は中世と近代の差異を強調するが、そう単純なものでもないだろうというのが、近年の見解であるように私には思える。日本でも根占献一や岡本勝世の研究は、そういった単純な中世から近代への移行論を足踏みさせる。

だいぶ話がそれたが、著者も言うように、その公刊から15年を経たいまでも類書を得ることができない。そういった意味では孤立例である。非常に面白い分野であり、もっと関心を持つ人がいてもいいように思うが、敷居が高そうに見える思想史の分野に足を踏み入れる必要があることから、敬遠されているのかもしれない。もったいないことである。


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