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西欧中世の民衆信仰 [Medieval Spirituality]


西欧中世の民衆信仰 神秘の感受と異端
R・マンセッリ(大橋喜之訳)
八坂書房 2002年 278+64頁

緒言(エディス・パストゥール)
序(ピエール・ボリオーニ)

第1章 方法の問題
第2章 民衆の信仰とその信仰形態
第3章 民衆運動と教会
第4章 教会と民衆の信仰

補遺
訳者あとがき
原註
索引

Raoul Manselli
La religion populaire au moyen âge. Problémes de méthode et d'histoire.
Montréal: Institut d'études médiévales Albert-le-Grand 1975
* * * * * * * * * *

中世における民衆信仰研究の開拓者の一人であるマンセッリの主著のひとつ。カナダのモントリオールでの連続講演に基づく。短いながら名著の誉れ高く、中世の民衆信仰を志す者は避けては通れない標石である。本文は無駄のない構成である一方、補遺で個別の問題をとりあげる。研究者はこの補遺を読み込む必要がある。それぞれの問題をたどっていけば卒業論文や修士論文などいくらでも書き上げる事ができよう。

いまでこそ民衆信仰研究は西洋中世学の中で一定の地位を得るに至ったが、本書の初版が現れた70年代はまだ手探りの時期であったように思われる。しばしば言われることとであるが、西欧中世世界の民衆信仰が記録されるのは教会人の手を通じてであり、そこには記録する側のフィルターが掛かった情報しか残されてはいない。価値観の変動が顕わとなるルネサンス期になると、たとえばラブレーの著作やブリューゲルの絵画のように民衆世界――そこに表現主のフィルターが掛かっていないとは言えないが――を奔放に描き出した作品があらわれ、バフチーンやル・ロワ・ラデュリの著作のようなアプローチが可能となる。

残されている資料の様態が異なるのであるから、中世にルネサンス期の手法を持ち込むことは必ずしも簡単というわけではない。が、構造人類学、象徴人類学、社会人類学といった社会科学的な分析もしくは記述作法を持ち込むことによって中世における民衆信仰の世界を再現しようとする研究者もあらわれる。それはもちろんルゴフとグレーヴィチであり、彼らの主著は日本語でもかなり読むことはできる。従来歴史学者からはそのフィクション性もしくは規範性ゆえに敬遠されていた、聖人伝、エクセンプラ、贖罪規定書といった教化史料やアイスランドサガやレーといった俗語文芸を素材に、必要なデータをすくい上げたのである。「これをやってはいけません」とあれば、教会側の基準ではやってはいけない何かが民衆世界では息づいていたという発想である。

本書はルゴフやグレーヴィチと異なりアクロバティックな手法で民俗を掘り起こすといった趣ではなく、教会エリートの言説や年代記といった比較的アプローチが確立された史料から、丁寧に民衆信仰を再構成する。マンセッリはあくまでもカトリック史家であり、民衆信仰そのものだけを取り出すことはせずに、支配的体制である教会との関連の中でその存在を浮き彫りにする。民衆信仰の核の一つである霊性はエリートと民衆双方の相関関係を顧慮してようやく意味をもちうる概念であることを考えれば、マンセッリの手法は今後とも継続されてしかるべきである。異端は正統がなければ存在しない。

なかなか凝った造作の本である。スクロヴェーニのジオットの壁画を彷彿とさせるような青の表紙である。フォントにまで気を遣うその執念は、ものづくりとはかくあるべしとの出版社の生き気味を感じさせる。それにもまして素晴らしいのは訳文である。訳者大橋は必ずしも学術アカデミーに所属しているわけではなく、ローマに長年在住する一民間人であるが、彼による正確にして気品あふれる訳文は凡百の大学人の模倣するところではない。いかにも昭和前期から中期の幻想文学にみえる日本語を彷彿とさせる。ただし、「伯」を「伯爵」とするのは慣用から外れており、また「Gesta pontificum cenomanensium」(140頁)は『ルマン司教事績録』とすべきである。目をつぶってもかまわぬ瑕疵と言えばそれまでであるが。


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