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異教的中世 [Early Middle Ages]


ルドー・J・R・ミリス編著(武内信一訳)
異教的中世
新評論 2002年 xi+352頁

訳者まえがき
第1章 異教的中世 表現の矛盾か(ルドー・ミリス)
第2章 宣教師 異教信仰とキリスト教の最初の接触(マルティン・ドゥ・ルー)
第3章 考古学的裏付け(アラン・ディールキンス)
第4章 生と死の間 闇の王国(クリストーフ・レッブ)
第5章 中世の女性預言者(アニック・ヴェーグマン)
第6章 薬草の知識(ヴェロニーク・シャロン)
第7章 純潔、セックス、罪(ルドー・ミリス)
終章 異教信仰の残滓 その役割(ルドー・ミリス)

訳者あとがき
引用出典一覧
参考文献一覧
索引

Ludo J. R. Milis(ed.)
The Pagan Middle Ages.
Boydell 1998(orig. in Dutch 1991)

* * * * * * * * * *

仕事場への往復用にと思い積読の山から取り出したが面白かった。ルドー・ミリスは1940年生まれの元ヘント大学教授。学位論文は律宗参事会を扱った、
Ludo Milis, L'Ordre des chanoines reguliers d'Arrouaise : son histoire et son organisation, de la fondation de l'abbaye-mere (vers 1090) à la fin des chapîtres annuels(1471). 2 tom. Brugge: De Tempel 1969.

であり、論文集に、
Ludo Milis, Religion, culture, and mentalities in the medieval Low Countries: selected essays, ed. by Jeroen Deploige. Turnhout: Brepols 2005.

がある。史料学の本場ベルギーの人らしく、極めて堅実な研究姿勢のようである。

中世が盛期と思われるキリスト教も一皮むけば異教だらけよという、よくあると言えばよくある論調ではあるが、頁の過半を初期中世に費やしているのが特徴的である。著名なブルカルドゥスの規定からもわかるように、初期中世のほうが異教の残滓があるのは当たり前だが、このような比較的専門度の高い論文集が日本語で読めるということはありがたい。宣教問題はフランスやドイツでも再燃しつつある初期中世の核心的問題であるが、1.集団の改宗、2.個人の外面的改宗、3.個人の内面的改宗というプロセスでキリスト教が浸透していく様を、権力の役割を巧みに盛り込みながら描いている。低地地方はボニファティウスの拠点であるだけに、オランダ語による研究成果も十分に汲み取っている。

第3章は著名な中世考古学者の手になるものであり、副葬品を伴う初期中世墓地の解釈の標準的なアプローチを示している。具体例としてあげられるのは、1643年にトゥルネで発見されたキルデリクスの墓である。最近、この王の墓地の近くから20体の馬の完全な遺骨が発見された。本書が描かれた時点ではまだ調査途上のようであるが、「当時まだ異教徒の王であったキルデリクスの葬儀の一環として埋葬の際に殺されたものである」という仮説が提起されている。それが宗教的なものであるのか王の権威の象徴であるのかはわからないが、戦士の長である王にとって馬が持つ象徴的意味は極めて大きい。メロヴィングの王たちはローマの遺産を引き継ぎ、なおかつゲルマンの風習で権威づけ、しかもその後キリスト教をも吸収する。5世紀から6世紀に変わる数十年というのは、メロヴィング国家にとっても大変興味深い瞬間である。『歴史十書』によれば、コキライックなるデーン人の王が北海周辺に上陸したのもこの頃ではなかっただろうか。

面白いのは第7章。「性に関するタブーには四つの種類がある。結婚相手に関すること、典礼の時期に関するもの、女性の生理期間に関するもの、セックスの体位に関するものである。近親相姦はもちろん第一番目の範疇にあいるが、その中には姦淫、手淫、同性愛、小児性愛、獣姦などにかかわるすべての事柄が含まれている。これらのこと以上に邪悪とされたのは神聖な処女と淫行に耽ることであり、聖職者に対する贖罪基準は俗の平信徒よりも当然高く置かれていた」と前置きをして、マニアックな規定がいろいろと挙げられている。教会人のいつまでも若々しい想像力の逞しさに乾杯。しかし本当にこれらの規定がまじめに教会会議で論じられ、読みあげられていたのだろうか。などと想像をして笑っているだけでは研究になりません。なぜ書くも具体的な内容が規定されることになったのかを知るためには、古代以来の性の思想史をたどることなしには不可能なのだろうと思う。

ピーター・ブラウンが古代末期において論じたように、セクシュアリティの問題は中世社会の深層を捉えるにあたって避けて通ることはできない。自分でもやってみたいとも思う(もちろん研究を)。がしかし、具体的な内容を(歴史学は具体的でなければならない)若い男女を前に仮に大教室で講義する場合、どうしたものだろうかとも思う。そういう類の講義を聞いたことがなくもないが、自分にはできないかなあ。


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