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スキタイと匈奴 遊牧の文明 [Early Middle Ages]

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林俊雄
スキタイと匈奴 遊牧の文明(興亡の世界史02)
講談社 2007年 380頁
はじめに
第1章 騎馬遊牧民の誕生
第2章 スキタイの起源
第3章 動物文様と黄金の美術
第4章 草原の古墳時代
第5章 モンゴル高原の新興勢力
第6章 司馬遷の描く匈奴像
第7章 匈奴の衰退と分裂
第8章 考古学からみた匈奴時代
第9章 フン族は匈奴の後裔か?
おわりに

参考文献
年表
主要人物略伝
索引

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遊牧民族の研究は難しいらしい。というのも、文字史料がほとんど残らないから。本書が扱うスキタイはヘロドトスが、匈奴は司馬遷が執筆しているが、なんとも心もとない。歴史は記録を残した者が勝ちなのかもしれないが、その残り方に抗うのが歴史家でもある。私たちの国家観は基本的に文字を残す集団の在り方に基づいている。文字を残さない集団にも国家はあったはずだが、なかなか問われることはない。

文字がダメなら「モノ」へ。ということで、著者は考古学と美術史学に訴えることで、この痕跡少ない遊牧民族の実態を浮き彫りにしようとする。著者には『ユーラシアの石人』(雄山閣 2005年)と『グリフィンの飛翔』(雄山閣 2006年)という別の著作があり、美術史家だと思っていた。もちろん著者は美術史家でもあるのだが、考古学者でもある。「モノ」が発見されたコンテクストを理解する美術史家というのは理想的である。

スキタイの黄金装身具は美しい。さらに目を引くのは絨毯である。アルタイ北部のパジリク五号墳から出土したこの絨毯は、189×200センチ、10センチ四方の中に3600の織り目がある高品質のものであるという。それがどれだけすごいのか私にはわからないが、口絵で映える朱は、これを発見した人を驚嘆せしめたのではないか。バイユーなど及ぶところではない。

最後にフンに触れる。ヨーロッパ史にとって、ゲルマン移動を引き起こしたフンは本来大問題である。匈奴の末裔がフンであったかどうか、なかなか確証は得られないようだ。だが、近年のヨーロッパの議論では、ある集団とある集団が生物学的に連続しているかどうかというのは、さして重視されない。それはもちろん人種理論のいかがわしさに辟易したという歴史もあるのだが、実のところ、ゴート、フランク、ランゴバルドといった他と峻別しやすいと思われてきた集団ですらも、人種という観点では説明できないということが明らかとなってきたからである。集団のアイデンティティは生物学的与件ではなく、様々な条件(起源神話、装身具、言語など)を共有することによって構築されるというのが、まあ近年はやりの考えである。このような社会学的構築主義にのっとることがよい事なのかどうかはわからないが、一つの回答ではあるのかもしれない。フンのなかにはもと匈奴もいたかもしれない。しかしながら、すでに匈奴とは別のアイデンティティを旗印としていたのかもしれない。今言えるのはその程度だろうか。

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