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幻想の東洋 [Literature & Philology]

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彌永 信美
幻想の東洋 オリエンタリズムの系譜(上・下)
ちくま学芸文庫 2005年 346+394頁
序 旅への誘い
1.最古の民・最果ての怪異
2.遍歴する賢者たち
3.秘教の解釈学
4.隠喩としての歴史
5.世の終りと帝国の興り
6.東の黎明・西の夕映え
7.終末のエルサレム
8.楽園の地理・インドの地理
9.秘境のキリスト教インド帝国
10.そして大海へ…
11.新世界の楽園(以下下巻)
12.反キリストの星
13.追放の夜・法悦の夜
14.東洋の使徒と「理性的日本」の発見
15.天使教皇の夢
16.アレゴリーとしての「ジアパン島」
エピローグ 二つの「理性」と一つの真理
付論 〈近代〉世界と「東洋/西洋」世界観


引用文献一覧
あとがき
新装版へのあとがき
文庫版へのあとがき
主要人名索引

* * * * * * * * * *

ギョーム・ポステルという16世紀の東洋学者(のはしり)を終着点とする前近代的オリエント観の形成史。それはどうも中世最末期の十字軍精神の顕れであるらしい。テーマは異なるが、マージョリ・リーヴスの『中世の預言とその影響』と重なる部分も少なくない。

別にヨーロッパに限ったことではないが、他者像は偏見の塊である。この問題を最も先鋭的な形で取り上げたのはもちろんサイードの『オリエンタリズム』であろうが、別に近代に限らずとも、他者像の研究はごまんとある。その際、重要となるのは、その他者像が、どのような情報と知的道具立てによって形作られ、それが特定社会の中で流通し、どのようなかたちで根を下ろしたのかという点にある。ある特定の歴史社会には、それ特有の思考のパターンがある。他者像の生成プロセスとその機能コンテクストの理解は、最も基本的で最も重要なポイントである。古臭いと言われようが何だろうが、古典的歴史主義はいまでも有効であろう。

この本が西洋史家のあいだで話題になることはなぜか少ない。面白いのに。近代の、とりわけ文学的もしくは批評的表象を対象とするサイードやそのエピゴーネンの著作を5冊も6冊も読むくらいなら、そのうちの一冊は打ち捨てて、こちらを読めばいいと思う。

著者は1948年生まれ。パリの高等研究院で東洋文献学を修めている。今はフリーのようだが、『大黒天変相』と『観音変容譚』という仏教神話学(という学問があるらしい。神仏習合?)の大著を仕上げている。すでに絶版だが、『歴史という牢獄』(青土社 1988年)も、なかなか考えさせられる内容である。

初版は1986年青土社。私ははじめこの初版を読み、そのあとがきに驚いた。ナイーブととる人が多いかもしれないし、私も学部時代にはそう感じた。そして今でも筆者の吐露に寄り添っているわけではない。が、このあとがきを胸に収めて全体を振り返るとき、このポステルを巡る旅の意味も、ただの知的遍歴とは違ったものとなってきたこともやはり確かである。
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