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アングロ・サクソン文学史(散文編) [Literature & Philology]

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唐澤一友
アングロ・サクソン文学史(散文編)
東信堂 2008年 234頁

はじめに
第1章 アングロ・ラテン文学
第2章 法律、条約、およびその他の法的文書
第3章 アルフレッド大王と古英語散文の伝統の確立
第4章 修道院の復興とアングロ・サクソン時代後期の文学
第5章 自然科学関連の作品
第6章 その他の古英語散文作品

参考文献
おわりに
索引

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同著者による『アングロ・サクソン文学史(韻文編)』(東信堂 2004年)の姉妹編。二つあわせて、アングロサクソン文学史となる。著者は1973年生まれととても若いが、内容はかなり堅固。つまり専門家の要求にもよく耐えうるということである。初期中世史に関心のある向きは必読。日本は英語史の蓄積がかなりあるのでこのような著作も可能となったのかもしれないが、同じものはフランス語やドイツ語でもあってしかるべきである。

「英語史」の著作であるにもかかわらず、アングロラテンに一章をさくのは英断。古英語とラテン語との相互作用はマイケル・ラピッジが繰り返し主張している。それゆえ、古英語だけの英語史はもはや片手落ちといわざるを得ない。古英語だけではなく、シェークスピア以前の俗語史は、いずれもラテン語との関係に触れずに済ますことは不可能となっている。これはアイスランド語とて同じであるが、その辺りを配慮した著作は見たことがないなあ。

次いでながら、本書と関連のある著作を二つ。
英語学の歴史に関しては、
ヘルムート・グノイス(大泉昭夫訳)『英語学史を学ぶ人のために』(世界思想社 2003年)

アングロサクソンをやっていてグノイスを知らない人はいない。古英語の本場は、ある時期までドイツ語圏であり、グノイスはその領袖。もう一冊は、
寺澤盾『英語の歴史 過去から未来への物語』(中公新書 2008年)

とてもわかりやすい。とくに近代史の中に英語の流れを位置づけている点は、この種の本としては画期的。むかし先生には古英語版ベーダの講読でお世話になりました。当時の先生は今の私よりももう少し上の年齢でしたが、とても若く見えました。

一般的な傾向として、なぜ歴史家は韻文を軽視し、文学史家は散文に疎いのか。もちろん、かつて「文学」といえば韻文のみを指していたという事情はある。だがしかし、英語の「literature」はいわゆる「文学」という意味のほかに「書かれた文献」という意味もある。文献学者は素朴にそのような意味で用いることのほうが多い。その即物的「literature」を、それが生産された社会コンテクストに落としてみた場合、韻文と散文の重要性はさほどかわらない。とりわけ初期中世という、近代世界以降とは全く異なるリテラシー空間においては、双方とも支配階層と切っても切れない特殊な社会機能を持つ。その機能を明らかとするのが、「New Philology」であったように記憶しているが…。

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