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日本の国宝、最初はこんな色だった [Arts & Industry]

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小林泰三
日本の国宝、最初はこんな色だった
光文社新書 2008年 201頁

デジタル復元の基本

はじめに
第1章 大仏殿は最新モード 東大寺大仏殿
第2章 鮮やかな闇 地獄草子
第3章 無常観にズーム・イン 平治物語絵巻
第4章 飛び出す襖絵 檜図屏風
第5章 醍醐の花見にお邪魔します 花下遊楽図屏風
おわりに

所蔵先/写真提供一覧

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たまに上野の国立博物館に足を運ぶ。本館の2階に国宝の部屋があって、そこでは月替わりで鳥獣戯画のような国宝を展示する。国宝がどうやって決定されるのか詳細は知らないが、さすがに素人でもすげーと感じさせるものはある。昔見た空海の筆跡や正宗の日本刀は、ぞっとした。ことばの貧しい私は、こんなチープな表現しか出来ないけど、たぶん本物が持っているアウラという奴なんだろうねえ。

本書で面白かったのは二点。
一つは、本書の主題であるが、現在伝わる現物の色は本来のものではないという点。残されている史料や顔料の痕跡から判断するに、仏教塑像も近世屏風も原色は相当派手であった。もう一つは、国宝だかなんだか知らないが、そもそもは生活に組み込まれたモノであったという点。今は保存を理由にガラスケースの中に飾られているものが多いが、本来はどのような美術品であれ寺院や私宅で利用されていた。後世の私たちが、希少性や審美性を理由に、「参加する視線」を極力排除して、「美術」に仕立て上げているわけだ。

色彩復元とコンテクスト再現は、別に日本「美術」だけの問題ではない。シャルトル大聖堂だろうがモナリザだろうが事は同様である。北欧にはルーン石碑というやつがあって、あちこちに吹きさらしのまま立っている。遠目には何か文字の書いてあるただの石なのだが、本来は色が着いていた、はずである。元来その色がどのようなものであったのか、手がかりはほとんどない。私の知る限り、詩エッダに、「文字が赤」である可能性を示す証拠はあるが、その他がどうであったのかわからないし、それを論じた論文すら見たことがない。パストゥローのような象徴体系の知識があれば、進展するのかもしれないが、今の私にそんな知識はない。コペンハーゲン国立博物館の中庭にはイェリング石碑のレプリカがある。このブログの左のプロフィール欄にある写真である。色が着いているが、本当にこの通りだったのか。他方で、ルーン石碑は必ずしもいまある所に立っていたとは限らず、石碑の機能を考えるならば、本来そうであった歴史風景の中に置きなおす必要がある。しかしこれが難しいんだよね。でも、それをクリアーしないと、ルーン石碑はいつまでたっても単なるルーン文字データの提供物にしかならない。

著者は、大日本印刷株式会社を経て、現在は復元プロジェクトに従事する専門家。テレビでも活躍しているらしい。彼の結論はひょっとすると間違っているかもしれないけれども、それは新しいデータが出てきたときに改めればよい。一般的に言って、多くの人が知ることの喜びを感じるためには、こういう人が必要なんだと思う。学者はきちんとした論文を書いて、多くの人が依拠しうる正しい知識を社会に還元すべき。横のものを縦にしたり、結論だけを切り貼りしたものを「論文」とは言いません。

前もどこかに書いたが、シガクザッシのカイコトテンボーその他を読んでいると、しばしば「塩野七生はケシカラン」という言説に出会う。いやまあそうかもしれないし、私の知っているローマも彼女のローマ像とは大分違うけれど、それでとりあえずローマに興味をもってくれる人が増えれば別にいいんじゃないの。問題だと思うならどこが問題なのか指摘し、一般書かカルチャーセンターで論じれば。それで共感する人は、今後大学で学ぼうとするだろうし。ブーブー言ってるやつはその前にちゃんとした論文書けよ。

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