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封建制の文明史観 [Medieval History]

封建制の文明史観.gif
今谷明
封建制の文明史観 近代化をもたらした歴史の遺産
PHP新書 2008年 266頁

まえがき
序章 現代日本に受け継がれている封建制
第1章 モンゴルの世界征服と封建制
第2章 日本人は封建制をどうみてきたか
第3章 島崎藤村と大隈重信―封建制評価の動き
第4章 近代日本と封建制
第5章 梅棹忠夫とウィットフォーゲル
第6章 その後の封建制論
あとがき
参考文献

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本書を読んでも、封建制が何であるのかはわかりません。「封建制」という日本語が、どのような毀誉褒貶を経たのかがわかるのみです。

著者が後書きに書いているように、牧健二『西洋人の見た日本史』(1950年)と上横手雅敬「封建制概念の形成」『牧健二博士米寿記念日本法制史論集』(1981年)を下敷きとしている。なお、今谷自身も、「封建制論の変容」『日本思想史学』40号(2008年)という論文を物している。多分、これをもとに、ふくらましたのだろう。なお、上横手の論文は名論文。昔、議論を整理するうえで世話になった。

「封建制 feudalism」とは、本来的に西洋中世の社会システムを説明する用語である。君主が封土を家臣に与え、家臣は君主に奉公する、というのが教科書的な回答であろうか。私などは、日本の学会にこのような理解を広めたのは、世良晃志郎『封建制成立史序説』(1948)、ミッタイス『ドイツ法制史概説』(1954)、ガンスホフ『封建制度』(1968)であると思っていたが、今谷の本にこの三人の名前はなかった。ついでに言えば、ブロックへの言及もない。いずれも、日本における封建制イメージに影響を与えなかったわけはないのだが。

封建制を、法制度的に捉えるか社会経済史的に捉えるかで、かつて議論は大きく分かれていたように思うが、現在はそれどころか「封建制」という概念そのものが実体的であったか否かという話になっている。スーザン・レイノルズやエリザベス・ブラウンの著名な論文を読めば、概念そのものの問い直しが必要であることは理解されるかもしれない。佐藤の近著(114-122頁)には、現在のあるべき研究のひとつの方向性が提示されている。

概念史としても史学史としても浅いと思うが、従来このような本がなかったことを思えば、読んでおくべきなのかもしれない。懐かしかったのは島崎藤村(1872-1943)の話である。藤村は未完の遺著『東方の門』を残している。本書にもあるように藤村は、晩年「中世」なる時代に傾斜した。彼の中世観のもとネタのひとつは、日本ではじめて西洋中世史の概論(1931年)を書き記したといわれる原勝郎である(もっと早い例を見つけたけど)。昔、千葉西部図書館で藤村全集に収められた『東方の門』を繰っていたとき、藤村が中世に何らかの光を見出していたのを見てへーと思って、ノートをとった。

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