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The Vikings in Ireland [Medieval Scandinavia]

Vikings in Ireland.jpg
Mary A. Valante
The Vikings in Ireland. Settlement, trade and urbanization.
Dublin: Four Courts Press 2008, 216 p.

List of maps and charts
Acknowledgements
List of abbreviations

Introduction
1. Early Irish economics: manufacturing and trade in the seventh and eighth centuries
2. Longphort, dúnad and the earliest Viking settlements in Ireland
3. Ireland and Scandinavia in the ninth century: from gateway communities to central places
4. The impact of Viking settlement on ninth-century Ireland
5. Settlement and turf wars: the Vikings in Ireland, 914-1014
6. International trade and economy in Ireland, 914-1014
7. Local trade and economy in Ireland, 914-1014
8. From Clontarf to the Normans: economy and urbanization in Ireland, 1015-1169
Conclusion

Glossary of Irish terms
Maps
Bibliography
Index

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初版1972年のオコラーンの第二版があまりにでない。Forthcomingと聞いて10年も出ない。でないうちに、新進気鋭がアイルランドのヴァイキングをサーベイしてしまった。

アイルランドのヴァイキングに関する研究は、歴史学考古学ともにそれなりにあり、「Peritia」などを紐解けば(私は上智の中世研で凡そコピーした)、重要な論文は入手できる。一般にアイルランドといえば「ケルト」だが、現地の初期中世史家にしてみれば、「ケルト(笑)」であり、俄然キリスト教化問題が中心を占める。これもそう。カトリック国だから仕方がないのかもしれないが、論じ方はやや内に閉じている感がある。

アイルランドにとって、ヴァイキングの問題は、二律背反的である。一方では、写本や宗教施設の破壊者として、他方では、ダブリンをはじめとする沿岸都市の建設者として、中世アイルランドの物理的アイデンティティの形成に、深く寄与しているからである。ヴァイキングの側に立てば、アイルランドだけで問題は完結しない。ダブリンとヨークはつながっているし、マン島を介して、アイルランドとウェールズもつながっている。本書は経済史が中心的問題ゆえに、一国的ではない。

ノルウェー史にとって、アイルランドとスコットランドは絶対に外せない。ノルウェーがブリテン北縁に与えた影響は、歴史学、美術史学、考古学、地名学が、結構な量の研究で明らかとしている。しかし他方で、このブリテン北縁からノルウェーに、何がもたらされたかについて論じたものを、私は知らない。往来は絶えずあったはずである。本書も基本的にヴァイキングがアイルランドに与えた影響である。その逆ではない。中世になると、オークニーやマン島も含めて、両者の関係はより面白くなるが、それはまた別の話。

2009年3月13から15日にかけて、この分野をさらに進展させるカンファレンスが、ケンブリッジ大学にて予定されている。イギリスとノルウェーの中堅から大御所まで、そろい踏みである。「Between the Islands: Interaction with Vikings in Ireland and Britain in the Early Medieval Period」。行きたいけれど、いずれ報告書が出るでしょう。

表紙の写真の詳細はわからないが、戦闘用のロングシップではない。こんなコッゲ船のようなデブい図体は、輸送船だろう。牛でも積んでいるのだろうか。著者のヴァランテは、アパラチア州立大学准教授。ビブリオがすべてだとするならば、本書は8年ぶりの書き物である。アメリカの大学は、一部のエリート大学を除き、研究どころではないと聞く。本書の著者も、ひょっとすると、研究時間が取れなかったのかもしれない。そうだとするならば、この上ない不幸である。

日本もそうなりつつあるが、便利だからというだけで年嵩の人間が若い才能を潰すようなまねは控えて欲しい。はっきり申し上げるが、大学人の平均的知性は、今の60代よりも50代、40代よりも30代のほうが上である。それは業績を並べてみれば明らかである。学者を計る物差しは、業績以外にはない。大学教師=学者ではない。研究をやめたものは、学者を名乗ることもやめればよろしい。

ついでに「日本人独自の視点」とか訳のわからない妄言を吐いている連中も、卒論からやり直してくれ。そういう連中は、研究史が何を意味するか、全くわかっていない。出発点でボタンを掛け違えている。「フランス人独自の視点」とか、「中国人独自の視点」とか、そんなものがあるのか?あるとすれば、単なる政治イシューで、学問には馴染みません。アパグループじゃねーんだから。「私の視点(関心)」でいいでしょ。

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