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ヨーロッパの民族学 [Medieval History]

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ジャン・キュイズニエ(樋口淳・野村訓子・諸岡保江訳)
ヨーロッパの民族学
白水社 1994年 viii+138頁

序文
第1章 ヨーロッパ民族学の歴史
第2章 遺産の古層・基層・傍層
第3章 遺産の継承、同化、革新
第4章 アイデンティティの危機
第5章 好みと価値観と信仰
結論

訳者あとがき
参考文献

Jean Cuisenier
Ethonologie de l'Europe(Que sais-je? 2564)
PUF

* * * * * * * * * *

民族学はその成立の最初からして、他者の学である。文明人(ヨーロッパ人)と異なる非文明人(第三世界や東洋)を理解するための、文明人のための学である。そんなことは自明であったために、ヨーロッパ人がヨーロッパを民族学の対象とすることは長らくなかった。あったとしても、せいぜい歴史民俗学といった風に、過去の自身に他者性を意識することなく接近する。ここまで言うと極端に過ぎるが、私はそう感じてきた。

しかし、近年の民族学は自らが内包する政治性を、歴史学や文学よりもはるかに鋭敏に感じ取っている。だから、いかに観察対象を差別することなく、また他者から搾取することなく記述するかということに腐心しているように見える。実際、日本の歴史学は自身が歩んできた道に無自覚である一方で(ろくな史学史がないのがその証拠)、民族学は腫れ物に触るかのごとくである。この前知人にじゃあどうやって研究すんだときいたら、「たとえばある部族にヨーロッパ人の人類学者をひとり入れたら、その部族から逆にヨーロッパにひとり送り込むとか」。面倒くせーな。

ともかく、本書はヨーロッパ人がヨーロッパを対象とした民族学である。クセジュはフランス語版で128ページという制限があるので、いかんせん情報が詰まりすぎている。前提知識がある程度ないとつらいものがある。それはおくとしても、歴史学を生業とするものにとって本書はとても興味深い。というのも、本書はかなり歴史学の成果を反映しているからである。ヨーロッパ人とはこういうものであるという本質主義ではなく、歴史的にしだいに要素を加え、そのアイデンティティを作り上げてきた歴史的存在であることがよくわかる。
      
現代の人類学が歴史学に大きな成果をもたらすこともある。たとえばアイスランドはノルウェー・ヴァイキングの海外植民地であることはよく知られている。しかし血液型を調べると、この歴史的事実を一歩立ち止まって考えざるを得ない。アイスランドがA:B:O=19:7:74であるのに対し、ノルウェーは31:6:62。そしてアイルランドはA:B:O=18:7:75(78頁)。明らかにアイスランドはアイルランドと近い。歴史的証言の圧倒的に多くなる近代以降、アイルランド人がアイスランドに大量移住したという事実はない。したがって、このような血液型比は、おそらく中世末期までに出来上がっていたということになる。このような事実は、近年の遺伝学的な調査によっても裏付けられつつある。

12世紀の『アイスランド人の書』では、ノルウェーのハーラル美髪王の迫害を逃れてアイスランドに移住してきたのが、アイスランド建国者と論じられた。これは一種の起源神話である。もちろん言語や文化という点を考えれば、アイルランドにノルウェー人が入り、ドミナントな立場となったことは間違いない。しかし他方で、アイルランド側からも人の流れはあったと考えるのが自然であろうか。中世を通じて両世界からの移民は混交し、現在のアイスランドへとつながる。いまやアイスランド国立博物館にも記されている説であるが、文字史料だけからはわからない。人類学と医学の成果が、歴史学に通説の再考を促した例である。

訳のわからないブンカジンの貧しい経験に基づくヨーロッパ文化論ではなく、本書のようなきちんとした学者によるヨーロッパ民族学が今後とも紹介されてしかるべきである。私の知る限り類書があまりないから。

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