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遍在する「辺境」 [Early Middle Ages]

Loarre castle, Huesca.JPG
足立孝
遍在する「辺境」 スペインから見た紀元千年(上)(下)
『弘前大学人文社会論叢・人文社会篇』21号(2009年)59-75頁、22号(2009年)43-62頁

1.序論
2.「辺境」とはなにか:語彙・空間認知・実体(以上上篇)
3.細分化する空間:無数の「中心」、無数の「辺境」(以下下篇)
4.結論

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近ごろは業績一覧をものす際に、執筆論文の掲載雑誌がレフェリー付きかどうかを問われることが多い。これは当然の流れであり、レフェリー付き雑誌の洗礼を受けたものとそうでないものとの間には(また博士号取得者とそうでないものとの間には)何らかの差別的措置がとられるようになりつつある。しかしながらレフェリーのいない大学紀要に掲載される論文が価値がないかといえば、決してそうではない。もちろん読むに耐えないレポートレベルのほうが多いのだが、時として驚くべき質を誇る作品が、人に知られることなくひっそりと掲載されている。本論文はその典型。

著者の足立は1970年生まれ。佐藤彰一の指導のもと、名古屋大学で博士号を取得し、日本学術振興会特別研究員、名古屋大学21世紀COE研究員を経て、弘前大学にポストを得る。日本の若手中世史家の中でもっともプロダクディブである。

足立の研究テーマは、広く言えば農村史だが、一般に予期されるような農業というわけではなく、公表されている論文を読む限り、農民共同体と地域権力の関係に集中しているように思える。この雄編は、これまで地道に積み重ねてきた初期中世から12世紀までのアラゴン地方に関する実証研究を、辺境論と封建関係論という軸に沿って再展開するつくりとなっている。特筆すべきは、地域の細かい歴史史料を読む歴史家が陥りがちな地域特殊論に回収せず、空間の文節化という観点から、少なくとも地中海沿岸部の諸地域に応用可能なモデルを模索している点であろうか。史料の読解や文章構成は人文学者の作法ながら、一般化の可能な類型理解という社会科学的な把握を試みる。日本では珍しいタイプで、ピエール・トゥベールやクリス・ウィッカムを想起させる。

さて、少なからぬできる人がなぜレフェリー付き雑誌に投稿しないのか。理由はいくつか考えられる。1.審査に時間がかかる、2.雑誌論文としては長すぎる、3.レフェリーがレフェリーの体をなしていない。写真はスペインのウエスカ県にあるLoarre城。

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