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ヨーロッパ中世世界の構造 [Historians & History]


堀米庸三
ヨーロッパ中世世界の構造
岩波書店 1976年 440頁

I
1.中世国家の構造
2.マックス・ウェーバーにおける前近代的支配 封建制と家産制
3.西洋における封建制と国家
II
4.古ゲルマン農制をめぐる諸問題
5.封建制の最盛期とは何か
6.中世後期おける国家権力の形成
7.戦争の意味と目的
8.自由と保護 ラントフリーデ研究の一序論
III
9.グレゴリウス改革と叙任権闘争
10.中世秘蹟論争の一争点 Ordinatio irrataの解釈をめぐって
11.皇帝権と法王権 カノッサ事件の一考察

あとがきにかえて 石川武・平城照介

* * * * * * * * * *

堀米庸三は1913年山形県に生まれる。神戸商科大学、北海道大学を経て、1956年より東京大学教授。同じ研究室出身の林健太郎が総長をつとめている1969年に文学部長となり、大学紛争という困難な時期に対処した。ありがたいことに、ここでその在りし日の姿を見ることができる。

堀米の学術業績は本書に加えて次の二冊。
『西洋中世世界の崩壊』(岩波全書 1958), 253+29頁
『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(中公新書 1964), 206頁

前者は、増田四郎『西洋中世世界の成立』(1950)、今野國雄『西洋中世世界の発展』(1979)とあわせた三部作のトリ。ただし出版年代でいえば増田、堀米、今野となる。シチリアの晩鐘事件を軸にすえた後期西洋中世世界の構造的理解の書で、私は今現在この時期を扱ってこれを越える日本語のものを知らない。難解というわけではないが、読後にずしりとした重みが腹に残る。また後者は新書というとっつきやすい形であるにもかかわらず、内容は極めて高度である。グレゴリウス改革期の秘蹟論争が焦点となっており、論文集第三部と重なるが、その射程はより広く、文明論的ですらある。学部時代に何度か読み返したが、一つの世界を眼前に髣髴とさせる。

最近一般に向けた堀米中世像が再刊された。
堀米庸三『中世の光と影(上)(下)』(講談社学術文庫 1978 文芸春秋1967), 190+177頁

私が教養学部時代に読んだはじめての中世ヨーロッパ通史だったかもしれない。今はNHKにつとめる友人に勧められた。

エッセイの名手でもあった。いくつかあるが、私が一番印象に残っているのは、
堀米庸三『歴史を見る眼』(日本放送出版協会 1964), 196頁

これは一種の史学概論だろうか。

堀米はアイスランド社会への関心も抱いており、次の文章にあらわれている。
堀米庸三「ゲルマン的文化の再発見」『中央公論』1966年12月号(「ヨーロッパ文化の底にあるもの ゲルマン文化について」として堀米庸三『歴史の意味』(中央公論社 1970)56-72頁に再録)

堀米は『史学雑誌』で荒正人『ヴァイキング 世界を変えた海の戦士』(中公新書 1968)年の紹介もしている。荒正人は歴史家ではなく漱石研究者にして文学者であるが、この新書はおそらく日本で最も売れたヴァイキング関連の書籍であり、日本におけるヴァイキング像の根底には多分に想像的な荒のイメージがある。アイスランド研究の開拓者である山室静とともに荒が『近代文学』同人であったという点は、日本の北欧像受容にとって何か決定的なものがあるような気がする。それが何であるのか今の私にはわからないが。

堀米がこの世を去ったのは1975年、退官して間もなくである。
木村尚三郎「堀米庸三先生を悼む」『史学雑誌』85-3(1976), 96-98頁
石川武「堀米庸三先生の逝去を悼んで」『法制史研究』26(1976), 332頁

1930年生まれの木村は堀米の弟子であり理解者であったが、日本女子大、東京都立大学を経て1966年から東京大学教養学部の教壇に立つことになった。先日逝去。

堀米庸三論として、.
石川武「『中世国家の構造』から『中世の光と影』へ 堀米庸三教授の業績に寄せて」『西洋中世世界の展開 堀米庸三先生還暦記念論文集』(東京大学出版会 1973), 455-74頁
樺山紘一「堀米庸三」『山形の先達者1』(遊学館ブックス)(山形県生涯学習人材育成機構 1999) , 189-228頁

堀米が世を去った1975年、『ゴシック世界の思想像』が岩波書店より公刊され、京都大学人文科学研究所助手であった樺山紘一が34歳の若さで西洋史学科助教授として招聘される。以降、東京大学西洋史研究室は、ドイツ史学というよりもむしろフランス史学へとやや傾斜したかのように見える。それはアナール風歴史学の日本への導入の時期と重なる。もちろんマルク・ブロックの業績は堀米も熟知しており、70年代はアナール第2世代の、80年代は第3世代の業績の吸収に日本は躍起となった。樺山が旗振り役の一端を担ったのはこの第3世代である。代表格はジャック・ルゴフやル・ロワ・ラデュリ。

堀米はマルク・ブロックにいたくいれこみ、学部ゼミもその英訳の購読であったと当時を知るものから聞いたことがある。
マルク・ブロック(堀米庸三監訳)『封建社会』(岩波書店 1995), x+560+89頁

堀米の死後、20年を経てようやく日の目を見た。二宮宏之が訳文の調整をし、池谷文夫と池上俊一がチェックをするという点でも驚くべき訳書である。

堀米が教授職にあり、樺山が大学院生であった1967年11月、将来を嘱望されたドイツ中世史研究者がこの世を去った。1933年生まれであるから享年34歳。東大法学部助手を経てドイツから帰国した直居は文学部助手をつとめ、1965年より北海道大学文学部に助教授として赴任した。その矢先である。いわゆる国王自由人学説の火付け人であったが、その研究関心は同じ北海道大学の石川武が展開させた。1965年にはテオドール・マイアー、カール・ボーズル、ヘルベルト・ヘルビックという当時のドイツ中世史学界を代表する三人が来日し、講演を残している。
石川武「直居淳先生の逝去を悼む」『法制史研究』18(1968), 220-21頁
久保正幡/石川武「総括に代えて 直居淳氏を偲びつつ」久保正幡編『中世の自由と国家 西洋中世前期国制史の基礎的諸問題』(創文社 1969)

ここにある石井紫郎東大名誉教授のインタビューにも、直居に関して興味深いエピソードが触れられている。

直居の業績として、
直居淳「カール4世『黄金印勅書』に就いて(1)(2)」『史学雑誌』65-4 & 6(1956)
同「国王自由人とは何か カロリンガー時代の史料的所見から」久保正幡編『中世の自由と国家 西洋中世前期国制史の基礎的諸問題』(創文社 1969)
同「八・九世紀のアレマニエン」久保正幡編『中世の自由と国家 西洋中世前期国制史の基礎的諸問題』(創文社 1969)

久保正幡・石川武・直居淳訳『ザクセンシュピーゲル・ラント法』(創文社 1977)


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