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Tacitus: Germania [Sources in Latin]


J. B. Rives, tr. with intrudcution and commentary
Tacitus: Germania(Clarendon Ancient History Series).
Oxford: Clarendon Press, 1999, 346 p.

Abbreviations and conventions
Note on the map
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Introduction
1. The Ancient Germans
2. The ethnographic tradition
3. The discovery of the Germani
4. Roman inteaction with the Germani
5. Roman writers on the Germani
6. Tacitus and his works
7. The purpose of the Germania
8. The reliability of the Germania
9. The history and influence of the Germania
Note on the text

Translation
Commentary

References
Index

* * * * * * * * * *

今、「ゲルマン人」という均一の存在を想定する学者は少ない。考古学の成果が、そしてナチス時代の「ゲルマン人」賛美へのトラウマが、その均質性よりも各部族集団の差異に注目する現状を生み出している。「ゲルマン人」はいくつもの集団にわかれており、各集団も、他集団やローマ世界との接触を経て、絶えず自らのアイデンティティを更新し続けている、とするのが、おそらく近年の見方であろう。そこにはいくらかの「政治的正しさ」による規制がかかり、とりわけ人種特性について触れることはタブーとなっているように見える。しかし、歴史学はDNA研究と手を携える段階に入っている。どう折り合いをつけていくのか。

ポッジオ・ブラッチョリーニにその存在を知られた『ゲルマニア』は、バチカン図書館の創設者であるニコラウス五世に写本収集を命じられたアスコーリのエノクなる人物によって、ヘルスフェルトからイタリアに持ち帰られた。その写本から生み出された校訂は、活版印刷とドイツの祖国愛の波に乗って近世ヨーロッパへと広がった。このたかが数十ページのラテン語が、「ゲルマン学」の礎となり、よくも悪くも、民族移動期研究の根本テクストとして、絶えず参観され続けてきたし、今でもそうである。タキトゥスは直接の観察者ではなかったとはいえ、彼の簡潔な記述に取って代わるゲルマン社会像は既に存在しない。確かに戦後考古学の展開は、場合によってはタキトゥスの記述に疑義を呈するだけのデータを提出しているが、遺物が制度を証言することは少ない。タキトゥスの筆をそのまま信じることは危険とはいえ、やはり『ゲルマニア』を捨ておくことはできないのである。古代史家もそうであるし、中世史家もそうであろう。
Walter Pohl, Die Germanen(Enzyklopädie deutscher Geschichte 57). München: Oldenbourg, 2000, 160 S.

本書が『ゲルマニア』のコメンタリとしては、おそらく最新のものである。英訳はあるが、原典は掲載されていない。英語圏では今も、アンダーソンによる校訂が標準のようである。
J. G. C. Anderson, Tacitus: Germania. Oxford: Oxford UP, 1938(rep. 1997, by Bristol Classical Press), 230 p.

およそ70頁のイントロで『ゲルマニア』に関する基本的な情報を与えてくれる。ゲルマン人研究の現状、テクストの受容史、タキトゥス自身の情報など、現在の研究水準を反映したイントロであり、必読である。おそらく20世紀後半『ゲルマニア』を最も深く知った文献学者アラン・ロンも類似のコメンタリを出しており、ライヴズのものと併読すべきであろう。
P. Cornerius Tacitus, Germania, interpretiert, herausgegeben, übertragen, kommentiert und mit einer Bibliographie versehen von Allan A. Lund, Heidelberg: Carl Winter, 1988, 283 S.

彼はさらに、古典学徒にとって必須のハンドブックの中に、
Allan A. Lund, Zur Gesamtinterpretation der 'Germania' des Tacitus, in: ANRW II, 33-3(1991), S. 1858-1988.
Id., Kritischer Forschungsbericht zur ' Germania' des Tacitus, in: ANRW II, 33-3(1991), S. 1989-2222.
.
を執筆している。本人による校訂のあとに出た文献であるので、読む必要があろう。とはいっても、著作といってもよい大論文である。アラン・ロンは1941年にデンマークに生まれる。『ゲルマニア』の研究でミュンヘン大学に、おそらく期限付きのポストを得ていた。その間にヒトラーとゲルマン人観念の関係を問う研究を残している。ブレーメンのアダムのデンマーク語訳も彼の仕事であるが、2000年という公刊年はその死の前年である。日本語訳は、
タキトゥス(泉井久之助訳注)『ゲルマーニア』(岩波文庫 1979), 259+12頁

京都大学教授をつとめた言語学者による雄渾な訳で、漢文に親しんだ世代ならではの簡潔な日本語である。

北欧史にとって重要となる記述は、44、45、46という最後の三節である。それぞれ「スイオーネース」、「アエスティイー」、「フェンニー」について触れており、スヴェア、バルト、フィンの居住地と重なる。この辺境ゲルマニアのさらに涯に住む諸部族の情報を、タキトゥスはどのようにして入手したのか。『ゲルマニア』が執筆されたと考えられる97年から98年頃、アエスティイーのいますバルト沿岸は、琥珀の産地として名を馳せていた。そしてウッラ・ロン・ハンセンが膨大なデータで跡付けたように、ローマ時代(北欧では鉄器時代)の北欧には、ローマからの移入物が多数出土している。両者を介在する商人は頻繁に往来していたであろうし、情報とは、そういったところから伝達される。タキトゥスはスイオーネースに関して、「彼らの許においては、[ゲルマーニーとしては意外にも、]富さえなお尊ばれ、このため彼らにおいては、ただ一人の王が[金権によって独裁的に]、なんらの掣肘を蒙らず、絶対的服従の権を揮って号令する」(泉井訳)、とコメントする。この短い記述の中に、金にかかわる問題をわざわざクローズアップするあたり、北欧とローマとの交易の稠密さを想起させはしないか。ローマの辺境といえばブリタニアがしばしば俎上に上がるが、そうでない地域についての研究はどうなっているのだろう。
C. R. Whittaker, Frontiers of the Roman Empire: A Social and Economic Study. Johns Hopkins UP, 1994, 360 p.
A. D. Lee, Information and frontiers. Roman foreign relations in late antiquity. Cambridge: Cambridge UP, 1993, 213 p.

『ゲルマニア』をめぐる重要な論文集として、
Herbert Jankuhn & Dieter Timpe(hrsg.), Beiträge zum Verständnis der Germania des Tacitus(Bericht über die Kolloquien der Komission für die Altertumskunde Nord- und Mitteleuropas im Jahr 1986). 2Bd., Göttingen Vandenhoeck Ruprecht, 1989-92.

受容史と考古学である。同時代の社会に向き合う歴史学は、どう関わるべきだろうか。


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