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前嶋信次著作集2 イスラムとヨーロッパ [Historians & History]


前嶋信次著/杉田英明編
前嶋信次著作集2 イスラムとヨーロッパ(東洋文庫673)
平凡社 2000年 457頁

凡例
1.イスラムと西方ラテン世界
2.アンダルシアとマグリブ
3.近代イスラムの胎動
4.イスラム史の叙述
収録作品解題
図版出典一覧
前嶋信次氏の人と業績(続) 杉田英明
オアシスと永福町にて 三木亘

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前嶋信次は、1903年生まれの東洋学者。東京帝国大学文学部で白鳥庫吉の講筵に連なり、十五年にわたる台湾生活の後、満鉄の東亜経済局をへて、戦後は慶應義塾大学で教鞭をとった。1983年逝去。前嶋の最大の学的産物は、池田修とともに成し遂げたアラビアンナイトの全訳であろう。同じ東洋文庫に全十八巻(別巻一)で収められている。著作集は単行本未収録のエッセイを中心に、四巻から構成される選集であり、第一巻『千夜一夜物語と中東文化』、第三巻『《華麗島》台湾からの眺望』、第四巻『書物と旅 東西往還』である。編者はアラビア学、というよりも比較文学の俊才杉田英明であり、彼によるあとがきは秀抜である。個人の選集を編むにあたっての手本である。

本書はイスラム世界とヨーロッパ世界との交渉史やその方法論に関わる、比較的長文の論考やエッセイからなる。第一章の十字軍と第二章の文化移転で三分の二の頁数が費やされるが、興味深いのは第四章の「イスラム史の叙述」である。今は世界には膨大な数のイスラム学者が存在し、出自も様々である。しかしながら、前嶋が研究をはじめたころに拠るべき研究をものしていたのは、主として欧州の東洋学者であった。ドジ、アマーリ、レヴィ・プロヴァンサルといった綺羅星のごときイスラム学者である。

ここで私たちは、第二次大戦以前にどれほどのイスラム近代国家が成立していたのか、という問を自らに課さねばならない。国家なきところに歴史学は存在せず、したがって、イスラム圏の歴史研究を進めたのは、写本を収奪した西洋諸国に限られる。その叙述は、ともすれば帝国主義的、植民地主義的へと傾く可能性もあった。ムハンマドの史的役割をどのように評価するのか。イスラム諸国から、十分な史料に立脚しての異議申し立てが上がったのは、自前の教育機関に自前の(といっても当初の教育は西洋への留学)歴史学者を擁する準備が出来上がって以降である。とはいえ、イスラム諸国側の叙述が諸手を挙げて迎えることができるかといえば、それはどうなのだろう。前嶋は西洋でもイスラムでもない第三者という立場から、イスラム史の歴史叙述を振り返る。

しかし、第三者であるということは傍観者でもある。傍観者でなければ、裁定者である。いずれにせよ、すわり心地がよいとは言えない。しばしば書評で「バランスのよい」という文言を見るが、いったい何と何の「バランス」なのか。外国史研究に携わる身としては、いつも考えないではいられないが、そうしたすわり心地の悪さに耐えながら、漸進をするしかないのかもしれない。まあこんなことを考えるのは私が若造だからであって、経験をつんだ歴史家には愚問なのだと思うが。

本文はいかにも明治の知識人らしく、名文である。名文といっても、論理的で複雑な構成をとる思索文というわけでもなければ、漢籍の典拠を踏まえた高踏文というわけでもなく、接続詞を巧みに用いてメリハリを効かせる、平明な文章である。平明は読者に余計な負担をかけない。当たり前のことのように思えるが、これがなかなか難しい。かつてであれば、このような飾り気のない文章を巧いと思うことはなかったはずだが、自分が恒常的にものを書かねばならない立場に回ったこともあり、彼我の差をはっきりと感じるようになった。

日本における戦前のイスラム研究といえば、私などは回教圏研究所と大川周明くらいしか知らないが、いずれにせよ興味深い。戦前の日本では、支那(なぜ漢字変換できないのか)文化圏と西洋文化圏をもって、西洋/東洋、さらには世界史の把握を試みていたと理解しているが、その間に浮かび上がってくるのが回教、つまりイスラム文化圏である。日本のイスラム学の質は高いと思うが、それは戦前以来の蓄積をしっかりと吸収しているからである。


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