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わが国における法史学の歩み(1873-1945) [Historians & History]


岩野英夫
わが国における法史学の歩み(1873-1945) 法制史関連科目担任者の変遷
『同志社法学』39-1・2(1987), 225-312頁

1.はじめに
2.法制史関連科目・講座とその担任者 旧帝国大学の場合
(1)東京帝国大学
(2)京都帝国大学
(3)東北帝国大学
(4)九州帝国大学
(5)京城帝国大学・建国大学
3.おわりに

* * * * * * * * * *

歴史学には、その歴史学の歩みを辿りなおす研究を、史学史という。ジョージ・イッガースのように、それを専門とする研究者もおり、史学史は既に確立した研究分野となって久しい。日本史でも、永原慶二をはじめとしていくつかの史学史研究があり、私もそれらを興味深く読んだことがある。ただ、一つ不思議に思っていたのは、少なくとも日本で公にされる史学史は、基本的に研究者の問題意識の歴史となっている点であり、やや単純化して言えば、「帝国大学のアカデミズム史学」対「在野もしくは歴研のマルクス主義史学」といったような図式が、前面にですぎるきらいがあったことである。

もちろん、そうした歴史家個人または集団の思想的経験に基づく問題意識の変遷は、歴史学の展開を特徴付ける一つのメルクマールであることは確かであり、おろそかにすることはできない。フランスの『アナール』であれ、イギリスの『パスト・アンド・プレゼント』であれ、そこに方法論や関心の革新を見て取ることができるからこそ、歴史学者の記憶に残り、史学史におけるひとつの里程標となるわけである。

だがしかし、歴史学は個人の営みによってのみ成立するものではない。その背後には、歴史学を学たらしめる制度的側面が控えているはずであり、講座や史料編纂を担保する大学や研究所といったハード面への関心とあいまってこそ、豊かな史学史が描き出せるのではないかと思う。ついでに言えば、学術出版社もそこに含めるべきであるが、そこまではなかなか難しいかもしれない。

岩野による論文は、戦前の日本における法史学の歩みを、各帝国大学の法制史講座の担当者を再現することで、追跡している。本論考は大変煩瑣な作業の結晶であるが、私はそこから多くのものを学ぶことができた。本来的に、中世史学と法史学は切っても切れない関係にあるはずであり、中世史に関心を持つものは法史学の動向から解き放たれているわけではない。岩野は同じ雑誌に、西洋中世法史家である栗生武夫や世良晃志郎の研究に関する論考や、本論文の補遺とも言うべき「聞き書き:わが国における法史学の歩み」を連載しており、本論考と平行して読まれるべきである。ただし、いずれも結構な分量がある。国立情報学研究所の「論文ナビゲータ」を利用すれば、論文によっては自由にダウンロードできる。

なお筆者は、いわゆる「国王自由人学説」華やかなりし時代の空気を吸っている研究者であり、単著には、学説関係の論文が収録されている。
岩野英夫『成立期中世の自由と支配 西欧封建社会成立期の研究・序説』(敬文堂 1985)

写真は1930年代の京城帝国大学。京城帝国大学は、1924年に朝鮮総督府治下の京城府(現ソウル)に開学された、日本で六番目の帝国大学である。戦後の1946年、この京城帝国大学の建物を引き継ぐ形で、現在のソウル大学校が創設された。


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