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西洋中世史料論と日本学会 いまなにが問題か [Early Middle Ages]


岡崎敦
西洋中世史料論と日本学会 いまなにが問題か
『西洋史学』223(2007), 43-56頁

はじめに
1.史料論とはなにか
2.歴史情報としての史料(類型)
3.歴史解釈と史料情報
4.史料研究の脱構築
おわりに

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一月以上前に抜き刷りを頂戴して興味深く読み、エントリそのものは随分前に書いたが、うまく締まらないので放置していた。消そうかと思ったが、先日ある席でこの論文の話題が出て、私なりに思うところもあったので、あえてあげてみる。

歴史家が史料と向き合うのは当たり前である。というよりも、通常史料と向き合わないものを歴史家とは呼ばない。最早いないとは思うが、マルクスであれウェーバーであれウォーラーステインであれグランドセオリーに乗っかった歴史像を組みなおすだけ満足する者は俗流社会科学者であるし、自説に都合のよい史料のみ引き抜いてくる者を、ある研究者は「密輸」と喝破した。

それではただ史料を読んでいれば歴史家であるかといえば、そういうわけでもない。史料はあくまで史料であり、ある歴史像を再現する手がかりに過ぎない。歴史家にとって最も心躍る瞬間は史料を読み込んでいるときであると私は信じるが、それはあくまで各歴史家個人のアトリエ内で黙々と専念され、ときおり職人組合で話し合われるべき作業であり、その結果として引き出すことのできた「事実」は、従来の歴史像を書き換える糧としなければ意味がない。歴史家は史料と歴史像の往還のうちに存在するのであり、いずれが欠けても歴史家としての役割を果たすことはできない。

さて、現代語でどうにかなる時代と異なり、西洋中世史家が史料を読もうとすれば、それなりの修練期間を必要とする。体験的な物言いをすれば、その間、正直言って苦痛であるし、ある程度言葉が読めるようになったとしても、それだけで史料が言わんとするところを理解することができるわけではない。書かれている文言をテクストとするならば、そのテクストに意味を与える外的条件、つまり書いた人間の意図や書かれた史料の素材はコンテクストであり、つまるところテクストとコンテクスト両者を考慮して初めて、事実を引き出すことが可能となる。本論文でとりあつかう「史料論」とは、かつての史料研究で比較的軽視されていたコンテクストの再現に注目した研究手法をさしているといって差し支えない。

この「史料論」、日本で大流行である。もちろん、ナマの材料と常に向き合ってきた日本史や東洋史と異なり、横のものを縦にするだけで何とか体裁を整えていた「研究」も少なからずあった西洋史が、「史料論」に耽溺するのは、歓迎すべきことである。「史料論」という土台ができることで、現地の研究者とも、異なる地域間の研究者とも、さらには日本史や東洋史の専門家とも、ある種等距離の議論ができるようになるのだから。

しかし、ここで最初の問題に立ち返ろう。歴史学にとって史料とは何か。それは、歴史像の再現のための「手段」である。これは自然科学でも社会科学でもそうであるが、「手段」は「目的」によって方向付けられるのであり、私などが言わずとも「アナール」の開祖たちが実践してきたことである。いや、「アナール」だけではない。英国の「パスト・アンド・プレゼント」も、イタリアのミクロ・ストリアも、ロシアの文化史学派も、さらに言えば、インドのサバルタン研究も、広漠とした史料の海に測深器を打ち込み、それぞれの問題設定にとって最も効果的な史料群にあたりをつけていたはずである。そこには歴史家個人個人の歴史意識が介在していたことは確かであるが、サルベージした史料を歪曲して私たちの前に提示したわけではない。それぞれの成果を前にした私には、素材のうまみは十分に味わえた。

翻って、日本で流行する、というかこの論文の著者である岡崎がまとめ上げた近年の西洋中世史料論に、何らかの目的を見出すことはできるのだろうか。なければそれがすなわち無意味な作業であるわけではないし、本論考で紹介されてい論文の執筆者はそれぞれ心中に期すべきところを抱いているに違いない。しかしながら、私はこの精緻な動向論文を読んで、それをうまく読み取ることができなかったのである。通史でなくとも全体史でなくともよい、各執筆者が史料論で得た結果からなにを創り上げようとしているのか、そしてそれがどのような未来へとつながっているのか…。

そんなことは一旦は捨て置けというのかもしれない。拙速に「全体」などを求めようとするから、「歴史学」ならぬ「西洋史」などという世界のどこにもない(韓国にはあるが)歪な思弁学問が産み落とされてしまったのだと。それはそれで一つの見識かもしれない。ただ、私は何年も前に受けたある講義で語られた言葉が常に心を去来する。「通史は書かれ続けねばならない。たとえそれがどんなに不完全なものであっても」。未熟ゆえの葛藤なのかもしれないが、史料論がただ史料に淫するだけのものであるとするならば、歴史学は何のためにあるのだろうかと私などは思ってしまう。

写真は、1485年にヴェネツィアで出版された、グラティアヌス教令集(Decretum)のインキュナブラ。現在、リトアニアのビルニュス大学図書館に所蔵されている。


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