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末期ローマの美術工芸 [Arts & Industry]


アロイス・リーグル(井面信行訳)
末期ローマの美術工芸
中央公論美術出版 2007年 362頁

緒言(エミール・ライシュ)
図版一覧
挿図一覧表

1.建築
2.彫刻
3.絵画
4.美術工芸
5.末期ローマの芸術意志の根本的特徴

附録(オットー・ペヒト)
参考文献
訳者あとがき
索引
図版
参考図版

Alois Riegl
Spätrömische Kunstindustrie.
Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1973(1901)

* * * * * * * * * *

著者リーグル(1858-1905)は当初オーストリア芸術産業博物館に職を得、1897年よりウィーン大学教授となる。一世を風靡したウィーン美術史学派(ヴィクホフ、ドボルシャック、フォン・シュロッサーら)の一人でもある。

「古代末期」は一つの時代概念になったといってもよい。帝政ローマでも初期中世でもない一つの時代、4世紀から6世紀ごろまでを指す。ピーター・ブラウンとその弟子筋が特定の構造をもった時代として確立したが、この時代概念そのものを提出したのはウィーンの美術史家アロイス・リーグルであり、なかんずく本書である。本屋で現物を見た時は驚いた。まさか翻訳されようとは。

美術史に関心のある者はだれでも知っているが、リーグルは「芸術意志 Kunstwollen」というタームと結び付けられる。時代特有の美的枠組みを作ろうとする、芸術作品そのものに内在する力である。観念的存在に宿る意志という考えは、ヘーゲルの時代精神やさらにさかのぼって世界霊魂といった観念にまでつながるものであるのかもしれない。ともかくも、リーグルは「末期ローマ」(古代末期)という一つの時代に特有のリズムに注目し、「古典時代のリズムが対比のリズム(コントラポスト、三角形コンポジション)であったとすれば、末期ローマのそれは同一系の列のリズム(四角形コンポジション)であ」り、「現象の客観性に向かう傾向、そこから生まれる類型的性格、反個体的芸術創造と分かちがたく結びついた匿名性をもつ」ものと見立てた。こんな結論だけを読んでも意味が「へー」で終わるのが落ちで、序章から続く大芸術と小芸術双方を含めた具体例を丁寧に辿ってようやくそういうことを言っていたのかと腑に落ちる(私の理解が正しいかどうかは別)。人文学は結論よりもむしろ過程の叙述により大きな意味がある、と思う。だから書き手の叙述力とそれを裏打ちする教養が問題となるのである。もちろん結論は大事だけれども。

リーグルのほかの著作に、
長広敏雄訳『美術様式論 装飾美術の問題』(岩崎美術社 1970; 1942)
勝國興訳『オランダ集団肖像画』(中央公論美術出版 2007)
細井雄介訳「自然作品と芸術作品」『聖心女子大学論叢』105(2005)36-66頁
細井雄介訳「ヴァフィオの杯」『聖心女子大学論叢』106(2006)5-35頁
細井雄介訳「近代芸術の内容としての気分」「芸術愛好家の姿 古代と近代」『聖心女子大学論叢』107(2006)5-37頁
細井雄介訳「初期キリスト教バシリカの成立」『聖心女子大学論叢』107(2007)41-71頁

があり、彼の連なるウィーン学派については、その学派の系譜を構成する一人の手になる、
ユーリウス・フォン・シュロッサー(細井雄介訳)『美術史「ウィーン学派」』(中央公論美術出版 2000)

がある。

日本の美術史(美学)研究が素晴らしいと思うのは、(ドイツ系だけかもしれないが)現在の研究史のみならずこのような古典の翻訳を並行して行い、それを読み返してしかるべきという空気が絶えていないことである。それは必ずしもモノグラフの進歩とはかかわらないかもしれないが、ヒストリオグラフィの展開の中で切り捨てられた要素が絶えず思い起こされる。学問の世界でしばしば起こる「再発見」はこのような基礎作業から生まれるのだろうと思う。時代が移ったからといって思考の在り方が必ずしも深化するわけではない。温故知新の構えであるが、ふりかえって一般史学がそのような態度で研究に臨んでいるのかといえば、どうだろうか。

ところでこの中央公論美術出版というのはどういうつもりなのだろうか。本書は3万円。私は運よく古書で安く出ていたものを購入したが、最初から一般人は相手にしていないお値段である。


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