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西域文明史概論・西域文化史 [Classics in History]


羽田亨
西域文明史・西域文化史(東洋文庫545)
平凡社 1992年 346頁

西域文明史概論
弁言
1. 西域の形勢
2. 東西の交通と西域
3. 古代西域の人種
4. 西域に行はれた宗教
5. 仏教美術(その一)
6. 仏教美術(その二)
7. 西域に於ける漢文明
8. 漢人の西域経営と西域文明
9. 回鶻部族の西域転住
10. 回鶻時代の西域文明
11. 結語

西域文化史
前篇
第1章 緒論
第2章 西域の民族
第3章 西域史の曙光
第4章 アレキサンダーの東方経略とバクトリヤ及びバルチヤ
第5章 民族の移動
第6章 漢の西域経略
第7章 貴霜王朝
第8章 口厭口達・突厥の活動
第9章 唐の西域経営と回教勢力の東漸
第10章 回鶻の西遷
第11章 蒙古の中亜経略とその以後
後篇
第1章 西域と希臘文化
第2章 ソグド人と商業
第3章 ソグド語および天山南路に行はれたる諸語
第4章 西域に行はれた諸宗教とその典籍
第5章 宗教美術
第6章 西域と漢文化
第7章 回鶻の西遷と西域文化
第8章 トルコ族と回教
第9章 帖木児とトルコ文化
第10章 その後の概観

解題(間野英二)

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本書は日本歴史学の生んだ名著の一つである。『西域文明史概論』は1931年に弘文堂書店から、『西域文化史』は1948年に座右宝刊行会から出版された。東洋文庫版は両書の合本である。いずれも西域(羽田は「さいいき」と発話したらしい)研究にとって今なお古典であり、その概論としての価値はなお色褪せない。漢文素養に基づく文章構成の妙は門外漢が読んでも感動的である。

羽田亨(1882-1955)は三高から東京帝国大学を経て、新設の京都帝国大学東洋史学講座に学ぶ。東京時代の恩師は白鳥庫吉、京都時代の恩師は内藤湖南である。1909年より京都帝国大学で教鞭をとり、その後文学部長、図書館長、そして総長の地位に就く。学問業績も群を抜くが、行政能力も卓抜していたようであり、京都人文研の組織化に尽力した。彼の死後は友人である三島海雲や武田長兵衛らの資金拠出により、羽田の名を冠した内陸アジア研究所が創設される。世界に冠たる東洋学の拠点としての京都大学は、この羽田の存在に殆んどを負っているといっても過言ではない。なお息子の羽田明も孫の羽田正も日本を代表する東洋史家である。

本書は古典であり、その後新しい研究もあらわれてきた。越境的存在であるソグド人の役割に光を当てる、
森安孝夫『シルクロードと唐帝国』(講談社 2007)
は先鋭的である。

西洋史学は何かというと日本との比較というが、比較をする前に西洋世界と東洋世界とのつながりを知る必要がある。極域と極域を比べるから相違点ばかりが目立つが、その中間にあるシルクロードとそこに展開する混淆文明の存在を考慮するならば、西洋と東洋を対立的にとらえることの問題点が自ずと浮かびあがってくるだろう。ヨーロッパは、ユーラシアの西端にすぎない。ユーラシア文明の中のヨーロッパ文明という見方も、いい加減出てきてもよさそうなものだが。中世のヨーロッパなどユーラシアのど田舎であるという認識は、どの程度共有されているのだろうか。他方でヨーロッパはユーラシアとアフリカと新大陸それぞれに容易に接近できる存在であったことも確かである。ヨーロッパ半島はそのような地政学的位置にあるという観点から、ヨーロッパ文明のあり方を考えてもよいかもしれない。私もまじめに考えます。

ちなみに回鶻は「ウイグル」、貴霜は「クシャン」、口厭口達(口は口篇)は「エフタル」、帖木児は「チムール」である。


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