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中世知識人の肖像 [Intellectual History]

中世知識人の肖像.jpg
アラン・ド・リベラ(阿部一智・永野潤訳)
中世知識人の肖像
新評論 1994年 474頁
第1章 哲学と歴史
第2章 なぜ中世学者に?
第3章 「キリスト教的西欧」
第4章 忘れられた遺産
第5章 哲学者と知識人
第6章 性と閑暇
第7章 哲学者と星々
第8章 思惟の経験
結論

訳者あとがき
原注
訳注
人名索引

Alain de Libera
Penser au moyen âge
Paris`Seuil 1991

* * * * * * * * * *

大変読みにくい。なぜ読みにくいかと言うと、文章が華美な上に(翻訳者は相当苦労したはず)、純粋な哲学史ではなく、中世哲学のトピックをあつかいながら、しばしば現代フランス事情や思想にもどってくるため、基礎知識がないとついていけないからである。だから諸学者向けとはいえない。ただテーマを絞ってあるため、通読することは苦痛ではない。辞書として用いるリーゼンフーバーやコプルストンの浩瀚な通史とは対照的である。

かつてルゴフが『中世の知識人』という小著をだした。岩波新書で邦訳もある。リベラはこれをかなり意識している。ルゴフの本は極めて社会学的で、中世にペンで食っていた知識人という階層が存在したことを明快に論じている。そんなの当たり前だろと言いたいところだが、ルゴフ以前はそんなことを言う人が誰もいなかったらしい。ルゴフは思想の中身やその概念の系譜にまで立ち入ることはなかったが、リベラは哲学者なので、その点より深く考えてはいる。

中世研究は同時代の政治性とは程遠いと多くの人は考えるかもしれないが、そうではない事例がおこった。シルヴァン・グゲナムというノルマルの先生がいる。もともと紀元千年の恐怖の研究をしていた人だが、その後ドイツ語圏の研究(ドイツ神秘主義やドイツ騎士団)に移った。それが昨年、これまでとは方向性の大きく異なる小著を出した。皆さん、アリストテレスの思想はイスラムの注釈を通じて13世紀の西欧に入ってきたと言うけれども、12世紀のヴェネツィアのヤコブスという人物がすでにパリで全訳をしていましたよ、という話である。

仮にこれが本当であれば学問的には大きな発見である。しかしながら、学問的な検証よりも先に、「イスラムの功績を過小評価するとは何事か」という話が大きくなり、グゲナムはノルマルでの教授を一時停止させられた。ここにある時点までの顛末が書かれている。教授職の一時停止はノルマリアンらの署名に基づくようだが、その中心となっていたのはリベラである。これはもちろん純粋に学問的な内容だけの問題ではなく、グゲナムが極右雑誌のインタビューに答えていたこと、ついでに言えば彼の出自(グゲナムはドイツ語読みでグッゲンハイム、つまりユダヤ系)とも関わりがある。というかむしろそちらのほうが大きいようにも思える。リベラは1948年生まれであるから、もろに68年の世代である。

ところで学問的な検証であるが、友人いわく、「アリストテレスがただ翻訳されていたと言うだけではどれだけ影響があったかわからない。受容史を考えるならば、どの翻訳が用いられたのかというのが肝要だ」。ごもっとも。学者はくだらない政治的問題で頭を沸騰させる暇があるなら、写本の系譜を調べてテクストのロキを確定したほうがよいということである。

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