《批判的転回》以降のフランス歴史学 [Historians & History]
《批判的転回》以降のフランス歴史学
『思想』1012号(2008年)-
第1回
ベルナール・ルプチ「今日の『アナール』」
渡辺和行「ポストモダンの社会史と『アナール』」
第2回
パトリック・フリダンソン「組織、新たな研究対象」
高井哲彦
第3回
ジェラール・ノワリエル「社会的なるものの主観主義的アプローチにむけて」
三浦信孝
第4回
ミシェル・ヴェルネール&ベネディクト・ツィンメルマン「交錯する歴史を考える 経験的なるものと再帰的なるものとのはざまで」
平野千果子
第5回
ジャン・ルビアン「19世紀フランスにおける下級幹部公務員 ある研究の中間報告」
長井伸仁
* * * * * * * * * *
全五回の連載で、毎回論文の翻訳と日本人によるレビュー・アーティクルを掲載。大変はた迷惑な企画である。5冊買えということである。翻訳でもなければ読まないテーマなのでありがたいといえばありがたいが、一冊の本にまとめればいいのに。
『アナール』は前近代史の雑誌かと思っていたが、知らないうちに近現代史の雑誌になっていた。もちろん前近代史の論文だっていまだに載っているんだけれども、「社会科学」が前面に押し出されるようになって、格段に減った。減ったうえに、難しい抽象名詞の氾濫するよくわからないものばかりが目につくようになった。確かに『アナール』は、1929年の創刊当初から学際をうたい、方法論の革新を目指していたように見えるが、こんな方向でいいのかしら。わたしがただ社会科学があまり好きではない(その概念をよく理解できないものが多いから)というのもあるが、ある違和感を感じるからである。その違和感の正体ははっきりしていて、方法論とは史料を前にしてあれこれ選択するものだと思うのだが、どうも近頃の傾向は、方法論をあれこれして史料を選んでいるように思われるからである。社会科学まずありき。人文学は普遍性よりも個別性をもとめ、社会科学は個別性よりも普遍性をもとめる。例外はあるが、経験的におおよそそんな印象を受ける。
『思想』はめっきりヨーロッパ歴史学の論文が載らなくなった。二宮宏之ありしころは、よくアナール第三世代の翻訳が載っていた。「思想」だから思想に関係あるものでなければいけないのかもしれないけれど、それでも「概念史」とか「観念史」とか見たことがない。現代史はよく載るが、それは現代史という営みがそもそも現在進行形の議論の動静と切り離して考えることができないからであって、別に方法論が斬新であるとか何とかということではないだろう。なにか常に新しいものを探していなければならないというのも疲れる。
「ポストモダン」という言葉の意味がよくわからないが、「人類は常に進歩する」という思想が潰えた後、くらいの理解でいいのだろうか。
写真はリュシアン・フェーヴル。