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歴史を逆なでに読む [Intellectual History]

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カルロ・ギンズブルグ(上村忠男訳)
歴史を逆なでに読む
みすず書房 2003年 305頁

歴史を逆なでに読む 日本語版論集への序言
第1部
第1章 証拠と可能性
第2章 展示と引用 歴史の真実性
第3章 証拠をチェックする 裁判官と歴史家
第4章 一人だけの証人 ユダヤ人大量虐殺と現実原則
第2部
第5章 人類学者としての異端裁判官
第6章 モンテーニュ、人食い人種、洞窟
第7章 エグゾティズムを超えて ピカソとヴァールブルク
結びに代えて 自伝的回顧


編訳者後書き

* * * * * * * * * *

歴史学という学問は、特段のディシプリンがあるわけではない。大きくとれば、過去の事例を対象とする学問はすべて歴史学である。だがしかし、歴史学をもう少し狭い意味で考えた場合、おそらく誰も口に出さないだろうけれども、一つの黙契のようなものがそこにはある。それはつまり、何らかの具体的な史料に依拠してものを考える、ということである。

あたりまえじゃないか、という人もいるだろうが、西洋史学というアカデミアの中に立ってみた場合、これが当たり前ではない状況にしばしば出くわす。ある事案に対して実績のあるAさんがこう言いました、だから結論はこうですというのが少なからずある。もちろんそれで答えになる場合もあるが、Aさんとは異なる結論をだしたBさんがいたとしたらどうなるだろうか。AさんとBさんの結論へ至るプロセスとその論拠を確認するのが常套である。その論拠となるのが史料であり、AさんとBさんのどちらの結論がより正しいのかを判定する材料となる。ばあいによってはAさんもBさんも間違っており、あたらしいCという結論に達することもままある。だから歴史家は、史料を扱えなければならないのである。にもかかわらず、結論と結論を比べて折衷するような「論文」が随分とある。一見公正なように見えるが、何も言っていないに等しい。そのような「論文」は、しばしば「バランスのとれた」という評を受ける。これは決してほめ言葉ではない。そこにあるのは評者の優しさと皮肉である。「ところで君の考えは?」

というわけで、歴史学の作法は、すべて史料が規定する。というわけで、仮に歴史哲学というものが存在し、それが歴史家に資するものであるとするならば、史料(証言)についての哲学でなければならない。したがってモンテスキューやヘーゲルやマルクスの「歴史哲学」は、職業的歴史家にはほとんど役に立たない。せいぜい文明評論家の糧となるだけである。そんなものを引用している「歴史書」は眉に唾をつけて読んだほうが良いというのが、私の考えである。

そういった意味で、ギンズブルクの一連の論考は、真の意味での歴史哲学である。『チーズとウジ虫』、『闇の歴史』、『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』という彼の代表作を並べて、ギンズブルクの考察対象はどんどん変化している、そこにギンズブルクの凄さがあるなどと評することがある。ちがうんだよ。彼の考察対象は、はっきり言ってデビュー作から何も変わっていない。つまり、史料がどれだけの証言力を持つか、という一点である。もちろん史料が、異端審問記録であったり、現代の裁判記録であったり、叙述史料であったり、絵画資料であったりはする。しかしそのような差異はギンズブルクにとって、おそらくそれほどの意味を持たない。目の前にある史料が何を語り何を語らないか、ということを徹底的に思索する。歴史という流れの中に史料があるのではなく、史料というかたまりの中に歴史があるのである。ただし、その結果としてのギンズブルクの結論が正しいとは限らない。彼の深い読みには彼独特のアイデンティティが反映されており、すこしやりすぎじゃないかと感じることもある。

訳者は、ギンズブルクに随伴しながら思索してきた哲学者である。訳者のもうひとりの研究対象であるヴィーコも、ギンズブルクと同じく、史料に基づき歴史を考えようとした。私はいまだにイタリアらしい歴史学とは何かわからないが、史料が豊富にある世界だからこそ、ヴィーコやギンズブルクのような歴史哲学が必要とされるのかもしれない。

杉山光信訳『チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像』(みすず書房 1984年)
竹山博英訳『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』(せりか書房 1986年)
竹山博英訳『神話・寓意・徴候』(せりか書房 1988年)
竹山博英訳『闇の歴史 サバトの解読』(せりか書房 1992年)
上村忠男・堤康徳訳『裁判官と歴史家』(平凡社 1992年)
森尾総夫訳『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』(みすず書房 1998年)
上村忠男訳『歴史・レトリック・立証』(みすず書房 2001年)
竹山博英訳『ピノッキオの眼 距離についての九つの省察』(せりか書房 2001年)

竹山氏の訳はよくわからない。お願いだから日本語にしてください。

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