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儀礼と象徴の中世(ヨーロッパの中世8) [Medieval History]

儀礼と象徴の中世.jpg
池上俊一
儀礼と象徴の中世(ヨーロッパの中世8)
岩波書店 2008年 vii+280+10頁

序章 「カノッサの屈辱」は出来レースだったのか
第1章 支配の道具としての儀礼
第2章 家族とその転生
第3章 身振りと感情表現
第4章 連帯と排除の記号
第5章 象徴思考の源泉
結論 儀礼と象徴のヨーロッパ

参考文献
索引

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帰宅して溜まっていた新聞を整理。1月11日の朝日新聞の読書欄をひらく。岩波書店が本作を宣伝。どちらかといえば「明るい中世」を描こうとするシリーズだが、隣の文化欄に「法の精神失った中世」という禍々しい煽り文が。塩野七生大先生の新作『ローマ亡き後の地中海世界』の紹介でした。先生さ、中世を紹介してくれるのはいいんだけど、参考文献はピレンヌの『マホメットとシャルルマーニュ』でした、なんてことはいくらなんでもないよな。朝日新聞の文化欄担当も、こういう嫌がらせみたいなことをするんだったら、「ヨーロッパの中世」の著者にもインタビューしろよ。な、それがフェアっていうもんだろ。あと、書評といえば、読売新聞でキョンキョンが書評子になっていた。びっくり。でも、これからかな。

まあそれはいいとして、シリーズトリをつとめる編者の待望の著書です。昨年、600ページをこえる『ヨーロッパ中世の宗教運動』(名古屋大学出版会)を出したのもつかの間、テーマをガラッと変えて新作の登場。手抜きは全くなし。儀礼と象徴は、シュラム以来、西洋中世世界を考えるにあたって必須の要素であったが、それを概観した手頃な著作は、じつは欧米でもない。国単位か、論文集か、カントロヴィッチやシュラムのような大部の著作か、である。少なくとも私の手元にあるものは、どれもそう。そういった意味で、本書はとても便利だし、中世的世界を知るために格好の手引きとなる。事例も面白い。講義のネタにもなるし、卒論のテーマ選びにもよいだろう。池上の著作は、とりわけ中世文学者に好まれているように思えるが、このテーマも彼らの気を引くと思う。序章は、まるでカノッサ事件を見てきたかのよう。

池上の狭い意味での専門はロマネスク期(10世紀末から12世紀前半)である。『ヨーロッパ中世の宗教運動』では、一応初期中世からルネサンス前まで扱っているが、ロマネスク期を一つ高い位置において他の時代を価値判断するという彼独特の史観が、当該書物の書評会で批判の対象となった。それを受けてかどうかはしらないが、本書では、儀礼と象徴という観点からヨーロッパを見ると、初期中世の持つ意味がぐんと大きくなると仰っている。まあそうなのかもしれないけど、その割には初期中世の事例が少ないような気がするし、史料の貧しい初期中世のほうが、ひょっとするとそれ以降の時代より、ただ儀礼研究が進んでいるというだけのことかもしれない。私はグレゴリウス改革以降の研究については暗いので、今のところ何ともいえない。

さはいえ、グレゴリウス改革は、いろいろな意味で一つの画期であることは確か。儀礼もそうだし、私の知る限り、政論なるものが大手をふりはじめたのも、このときである。政論家(Publizist)といわれる各派閥の理論家(悪く言えば御用学者かな)が、聖書、教父文献、ローマ・カノン両法、教会決議といったものを根拠に理論を構築し、自派に都合のよい議論をぶつ。これ以降のヨーロッパではしばしば見る風景で、たとえば尊者ペトルスと聖ベルナールの論争とか、フィリップ4世期のレジストとか、ルターとエックの討論とかも、同じ道筋にあるような気がする。最近そういった研究書がブリルかどこかから出ていたと思う。

ただ、池上的霊性は抜けた。本書は、分析言語と感情言語が渾然一体となる特徴的な文体ではなく、極めて普通の文章。少々の偏見はあっても、わたしはこちらこちらのほうが好き。

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