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修道院 [Medieval Spirituality]

聖ベネディクト会.jpg
今野國雄
修道院(世界史研究双書7)
近藤出版社 1971年 286+36頁

はしがき
1.序章
2.遥かなる修道の源
3.東方修道制の形成と東西交流
4.西方修道制の始まり
5.修道制の確立
6.修道制の普及
7.修道院の生活とその変貌
8.修道院の改革運動とその影響
9.新修道会の発生とその活動
10.托鉢修道会の起りとその活動
11.最後の光芒

参考文献
年表
索引

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慣れない講義をしなければならないので、修道院関係の本を書庫から引きずり出す。今野の書物としては、岩波新書の『修道院』が有名だが、こちらのほうが詳細である。初版が1971年と古く、海外の基本書(これこれ)や朝倉文市、関口武彦、杉崎泰一郎の書物等で新動向を補足はしなければならないが、修道院の流れが過不足なく描かれている。中世初期に重点は置かれているが、宗教改革ではなくマビヨンで締めるところにセンスを感じる。きわめてよくできた修道院概論である。いま、復刊したとしても、教科書として需要はあるのではないか。

高校の頃から、修道院と教会の違いがよくわからず、苦労した。信仰のあるものにとっては自明なことかもしれないが、修道院の中にも教会があり、教会人も修道院出身が多く、いまだに理解に苦しむ。戒律にしたがって生きるのが修道士だが、11世紀以降、律修参事会なるものもできる。修道士は荒野を好むと思いきや、托鉢修道士のように街場に修道院を構え、大学や異端審問所で活躍する連中もいる。騎士修道会はすすんで戦いに馳せ参じ、異端修道士やサヴォナローラは好んで人々を扇動する。せっかくの機会だがら、じっくりと勉強するか。

今野は一橋の上原ゼミ出身である。一橋、旧東京商科大学は、法制史の三浦新七を嚆矢とし、ドイツ史の上原専祿と社会経済史の増田四郎を擁した。戦後、総合大学に改組したのち(初代学長は上原)、三キンと称されるドイツ国制史の山田欣吾、ビザンツ経済史の渡邊金一、ドイツ社会史の阿部謹也を生んだ。加えて、早世した清水廣一郎である。かつて、と留保をつけるが、人文学の雄を自認する東京大学や京都大学と、どちらが中世史学として生産的な空間であっただろうか。仮に私が西洋史学史の筆を執るとするならば、国立の果たした役割をその流れに組み込むだろう。

今野の業績は、「今野國雄先生 : 年譜と業績」『青山史学』12(1991年), 3-11頁にある。くわえて、『夜想』のペヨトル工房を率いた息子今野裕一による「父の死」というエッセイも。

写真は富士の裾野にある聖ベネディクト修道院。

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