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Southeastern Europe in the Middle Ages 500-1250 [Early Middle Ages]

Southeastern Europe in the Middle Ages.jpg
Florin Curta
Southeastern Europe in the Middle Ages 500-1250(Cambridge Medieval Textbooks)
Cambridge: Cambridge UP 2006, xxviii+496 p.

欲しいと思っていたところ、国内のとある古本屋で2000円。故売屋じゃないだろうね。たまにそうとしか思えないものを入手するんだけれど。本書に関するインタビューもこちらにアップ。次回作は初期中世のギリシア社会経済史(ビザンツ史かしら?)と、カロリング朝とモラヴィアやブルガリアの関係史のようだ。すげー。

クルタについてはこちらに書いた。アメリカの東欧史では文句なくナンバー1で、その勢いはとどまるところを知らない。編著や寄稿はいとまなく、初期中世東欧の代名詞となっている。かつてであれば、ヨアヒム・ヘルマンのような旧東ドイツの研究者ががんばっていたが、最近はそれほど名前を見なくなった。一種「一つの大きな家」として何らかの共通項を探そうとしていた旧共産国時代ならいざ知らず、一時史料も限られているし、魅力を感じなくなったのかもしれない。

スラブは大きく分けて、西スラブ(ポーランドやチェコスロヴァキア)、東スラブ(ロシア周辺)、南スラブ(バルカン)の三つがあり、ルーマニア出身(ルーマニア語はロマンス語!)のクルタは南スラブ専門。ロマンス圏やゲルマン圏の研究者はスラブ諸語はあまりできないが、スラブ圏の研究者はロマンス諸語もゲルマン諸語もできる。これは圧倒的な差であるし、スラブ語圏には信じられないような天才がいるのだが、たとえば、ローマ史のロストフツェフ、ビザンツ史のカジュダン、ロシア史のヴェルナルツキのようにアメリカに移動(亡命)してはじめて、所蔵文献の貧しさとイデオロギーから解放され、その真価を発揮する人もいる。クルタもそのひとり。アメリカという国は、できる人には徹底的に裨益する構造になっている。スラブ言語の読めない私のような人間は、脚注とビブリオを見てため息をつくしかない。西洋側でここまで出来るのは、オックスフォードにいたジョナサン・シェパードただ一人だと思うけど。

クルタの議論のポイントは、「民族創生(エトノジェネシス)」。いわゆる民族史観を解体する道具として、ウィーン学派やパトリック・ギアリらの議論で人口に膾炙したが、日本の中世史で根付いているようには見えない。日本人とは何かとか、日本人の起源はという議論の好きな人は、たえずいる。流石に大学にはいないと思いたいが、歴史好きのおっちゃんとかと話すと、当たり前のように話題となる。日本人が2000年くらい前からいると思っているらしい。『「日本」とは何か』を書いた網野善彦も浮かばれない。とはいえこの問題は歴史学的なそれではなく、むしろ普遍的な人間精神のあり方に関わる。来し方を知りたがる、というか自分に関してのみ古いこと(作られたものだが)をよしとするのは、初期中世の起源神話からもわかるように、人間のサガなのかもしれない。

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