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都市の創造力(ヨーロッパの中世2) [Medieval History]

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河原温
都市の創造力(ヨーロッパの中世2)
岩波書店 2009年 vii+266+10頁

序章 都市のヨーロッパへ
第1章 中世都市の誕生
第2章 空間システム
第3章 組織と経済
第4章 統合とアイデンティティ
第5章 秩序と無秩序
第6章 「聖なる都市」から「理想の都市」へ
終章 中世ヨーロッパ文明の中の都市

参考文献
索引

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平均320頁とするこのシリーズの中にあって、すでに刊行された佐藤の第1巻や池上の第8巻に比べるといくぶん薄い。一冊無駄に厚い巻があるから、編者自ら出版社のことを思い、ここでバランスをとろうということだろうか。

1980年代だったか、中世都市論が異常に流行ったときがある。日本では、樺山紘一らが旗振り役だったか。戦後日本の学会は農村研究が主体だったので、バブルを目前に控え、ニューアカが世間を席巻し、『現代思想』だのがイケイケだったこの時代は、歴史学にとって一つの転機だったのだろうと思う。もちろんわたしはその空気を知らないので、当時出た本を読んでいるとそう感じるというだけ。西洋中世史の樺山と阿部、日本中世史の石井と網野の、当時としてはかなり先鋭的な放談をまとめた『中世の風景』(中公新書)という本があるが、都市論はその中でも目玉の一つだった。網野が、「驚くべきことに自分が講座に書くまで、日本中世都市論はなかった」と言っていたのが印象的だった。農村とは異質の都市。ただ、都市=農村関係は、必ずしも初期中世だけの問題ではなく、現在にいたるまで連綿と続く。シエナ市庁舎にかかるロレンツェッティの絵はそれを表象していたのだが…。

河原の専門は中世後期のブルッヘ社会史である。しかしモノをよく知っている人なので、低地地方の事例のみに依拠せず、イベリア半島、ブリテン、フランス、イタリア、ドイツにまで目配りをきかせている。「聖なる都市」論や都市儀礼など、割合最近の議論までをうまく消化し、記述に組み込んでいる。もうすこし河原独自の大胆な見解があってもいいようにおもうが、そこは良心的拒否ということだろうか。よく考えると、日本語で読める西洋中世都市の概論は、エネンを除けばないので、今後本書がスタンダードとなっていくのかもしれない。テーマに一般性があるだけに、日本史の人も西洋近代の人も読むでしょう。

河原は、マックス・ウェーバーが提起した理念型都市(北欧型と南欧型ね)という型にはめての都市論に意味はないという。それは全くその通りだし、そもそもいまどきキモいウェーバー信奉者以外に理念型を信じるやつなんかいないだろう。あくまで抽象的理解のための「理念」であって、歴史学には馴染まない。ふり返って、本書の論じ方を見よう。読めば一発でわかるように、第1章は古代から中世への、第6章は中世から近世へのつなぎである。本論は2章から5章である。この本論では、低地地方やイタリアといった地域差や12世紀と15世紀といった時代差はいったんおき、外部世界と区別される中世都市内の様々な機能を集約的に吸い上げる。確かにウェーバーのような大雑把な地域的類型は棄てたが、これはこれで新しい理念型じゃないのかね。抽象的「中世都市」の貌はみえるけど、ロンドンやブルッヘの個性はよくわからない。まあしかし「中世都市」なるものを論じるためには、仕方ないのかな。なお本書は、中世史や都市史に関してある程度の知識を前提としているので、第1巻とは別の意味で、学部生にはやや敷居が高いかもしれない。

本書とは関係ないけど、現地読みで『死都ブルッヘ』や『ヴェネツィアに死す』は、まだ違和感があるなあ。

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