ビザンツ帝国史 [Medieval History]
ゲオルグ・オストロゴルスキー(和田廣訳)
ビザンツ帝国史
恒文社 2001年 xxxii+752+lxxxv頁編集者と著者による序文
追記
訂正
文献一覧
凡例
序論 ビザンツ史学史
第1章 初期ビザンツ帝国発展の基礎(324-610年)
第2章 ビザンツ帝国の生存を賭けた死闘とその再興(610-711年)
第3章 聖画像破壊運動による危機の時代(711-843年)
第4章 ビザンツ帝国の繁栄期(843-1025年)
第5章 首都における官僚貴族の支配(1025-1081年)
第6章 軍人貴族の支配(1081-1204年)
第7章 ラテン支配とビザンツ帝国の復興(1204-1282年)
第8章 ビザンツ帝国の衰退と没落(1282-1453年)
人名および事項索引
付録資料
地図
ビザンツ王朝の系図
支配者一覧
Georg Osttrogorsky
Geschichte des Byzantinischen Staates
München: C. H. Beck 1980
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本文と註で750ページもある本を通読してまず思ったのは、非常につまらない。自分でやっておいて言うのもなんだが、事件列挙と王朝交代劇の政治史とは、かくもつまらないものかと再確認した。本村凌二が、自分が政治がどのようなものかを実感するようになって初めて、政治史の意味がわかってきた、とどこかに書いていた。未だ自分の運命すら人に依存せざるをえない若造には厳しすぎた。
とはいえ、本書はすべての中世史家が手元においておいてしかるべき。今年はビザンツ研究の当たり年で、オックスフォード出版局、ラウトリッジ、ケンブリッジ出版局といういずれ劣らぬ一流出版社から、ビザンツ学のハンドブックが出る(出た)。しかしながら、その現在のあらゆるビザンツ学者がまず紐解くのは本書であり、座右の書として生涯にわたってお付き合いをする。まあ、広辞苑のようなものなのでしょう。
オストロゴルスキー(1902-76)は、ユーゴスラビア系ロシア人だが、ロシア革命から亡命者、いわゆる白系ロシア人。ハイデルベルクで博士号を取り、シュラムの推薦でブレスラフ大学の講師となる。ナチが政権をとった1933年には故郷ユーゴスラビアのベオグラードに移り、世を去るまでビザンツ学のポストにつく。ベックやデルガーと並ぶ、ドイツビザンツ学の大立者である。
ロシアは革命でオストロゴルスキーを失った。ドイツはナチの台頭で。亡命して大成する学者は多いが、失った側の国のアカデミアはどう考えてんだろうか。ロシア・ソ連のビザンツ史学史に関しては、日本語でも労作がある。
清水睦夫「ソヴィエト・ビザンティオン学史」『スラブ民族史の研究』(山川出版社 1976年)357-407頁
この中に、オストロゴルスキーの名前はない。清水については以前も触れたが、この『スラブ民族史の研究』に収められたどの論文も丁寧で、読みごたえがある。
ビザンツがマイナーゆえあまり騒がれないが、本書の訳業は、小林公によるカントロヴィッチ『王の二つの身体』(平凡社)や長谷川博隆によるモムゼン『ローマの歴史』(名古屋大学出版会)に匹敵する価値を持つ、とわたしは思う。翻訳者自身の能力は言うまでもないが、いずれも優秀な編集者がついて細部まで手を入れたのであろう、文章に香気があり、かつ正確である。いまの若手が年齢を重ねたとして、これだけの翻訳ができるかどうか、非常に心もとない。
しかしかつては東欧研究の出版を一手に引き受けていた恒文社はもはやその分野から手を引いた。本書はすでに品切れ。仄聞するところによれば、600部しか刷らなかったようだが、いま、アマゾンの古書では目の飛び出るような値段がついている。そもそも1万6千円もする高価な本だが、古本屋で2万以下なら懐を寒くする価値はあるのではないか。辞書と思えば。