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人類はどこへ行くのか [Intellectual History]

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福井憲彦他
人類はどこへ行くのか(興亡の世界史20)
講談社 2009年 384頁

はじめに(福井憲彦)
第1章 世界史はこれから 日本発の歴史像をめざして(杉山正明)
第2章 「100億時代」をどう迎えるか 人口からみた人類史(大塚柳太郎)
第3章 人類にとって海はなんであったか(応地利明)
第4章 「宗教」は人類に何をもたらしたか(森本公誠)
第5章 「アフリカ」から何が見えるか(松田素二)
第6章 中近世移行期の中華世界と日本 世界史のなかの日本(朝尾直弘)
第7章 繁栄と衰退の歴史に学ぶ これからの世界と日本(青柳正規/陣内秀信/ロナルド・トビ)

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このシリーズもだらだらと買い続け、だらだらと読み続けている。本書はいってみれば〆の巻であるが、あと数巻を残しての刊行。事情があったのであろう。

文明論だからか何か知らないが、京大臭が強い。いちばん面白かったのは第5章。わたしたちが当たり前のようにもちい、諸悪の根源と断じる「部族」という分節単位は、ヨーロッパ人が支配のために創り出した概念であるとする。それがアフリカ世界を分断し、絶えることの無い紛争を生み出し続けている、と。またアフリカにある独特の知恵を学べとも主張する。ひとつは、開放的で変更可能な柔軟な部族システム、もうひとつは、裁判によらない紛争解決である代替的紛争解決策である。著者は歴史家ではなく文化人類学者。それゆえにか、歴史家であれば避ける歴史の裁断という方向に傾いているのが気になるが、よって立つ世界の違いか。

第1章ははあいかわらずの杉山節。

「日本の西洋史も近年は「本地」にみまごうほどのレヴェルで展開し、国際学会(というものが本当にあるならば)の有力な一員となっている。とりわけ、先発の重点領域である英・仏・独やローマ史などについてはそうである。ところが、その西洋史も、まとまって日本独自の世界史像を語り、発信することには、なお極度に控えめである」(61頁)。

私の認識とはかなりずれている。西洋史で本当にできる人間は、現地の第一線の研究がいかに凄まじいか、身にしみて理解している。それすら知らず「日本人すげー」とか言っているのは粗忽者である。そもそも「日本人」というくくりはどうにかならんのかね。その「日本発の発想」が通用すると思えば、英語か何かで書いて雑誌に投稿すればよいだけである。そもそも学者が発信すべきは、世界史像云々である以前に、史料読解を通じて発見した「ささやかな」事実であるはずだし、それを抜きにそのひと独自の世界史像などありはしないのだけれど。日本の人文系機関で最も国際化していると思われる北海道大学スラブ研究センター・前所長の言葉を添えておく。

「日本の文系の中では桁違いに国際化しているスラブ・ユーラシア研究ですが、依然として外国の同僚からは、なぜもっとエクスポジュアがないのかと苦情を言われます。英語・ロシア語で書けばよいという国際化の揺籃期はとっくに終わっています。もっと読まれる媒体に書く工夫や努力が必要ではないでしょうか」

別の意味で面白いのが第4章。イブン・ハルドゥーンの翻訳者であるこの東大寺の学僧は、2000年にわたるキリスト教の歴史を3頁に集約し、こう評価する。「その底流にあるのは宗教的正義に基づく排除の原理と異質な他者に対する不寛容である」(195頁)。近々山川出版社からキリスト教史の新版が2巻本ででるようだが、この単純明快な見解に反駁するだけの内容であってほしい。

このシリーズには月報がつく。今回は佐藤彰一によるアンリ・ピレンヌ論。ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし、ピレンヌなくしてブローデルなし。

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