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ヨーロッパ中世末期の学識者 [Intellectual History]

ヨーロッパ中世末期の学識者.jpg
J・ヴェルジェ(野口洋二訳)
ヨーロッパ中世末期の学識者
創文社 2005年 x+273+49頁

序言
第1部 教養の基礎
第1章 さまざまな知識
第2章 教育
第3章 本

第2部 権力の行使
第4章 神への奉仕、君主への奉仕
第5章 知識と権力
第6章 実務の世界

第3部 社会的現実と自己に対するイメージ
第7章 新しい人間か後継者か?
第8章 野心と表現
第9章 結論にかえて 博士たちから人文主義者たちへ 連続と刷新

訳者あとがき
参考文献
訳注
原注
索引

Jacques Verger
Les gens de savoir en Europe à la fin du moyen âge.
Paris: PUF 1997

* * * * * * * * * *

良書。訳文も、こなれすぎず硬すぎず、学術翻訳の見本のような出来。名著翻訳叢書や歴史学叢書を刊行していた老舗学術出版社の面目躍如。中世末期に関心のある人は読んでおくべき。

ヨーロッパと銘打っているが、以前紹介した『ヨーロッパ中世末期の民衆運動』ほど大陸全体に目配りをしているわけではない。基本的にフランスの事例である。それでもヨーロッパを感じさせるのは、フランスがヨーロッパを体現しているという意識があるからか。それとも、われわれが抱くヨーロッパイメージがそもそもフランスイメージと同一であるからか。たとえばイギリスの事例やドイツの事例を真ん中に据えてヨーロッパといえば、多くの人が違和感を抱くのではないか。

ヴェルジェは誰もが知る大学史の第一人者。ソルボンヌなので、ベルナール・グネの後任なのかもしれない。邦訳に、大高順雄訳『中世の大学』(みすず書房 1979年)と野口洋二訳『12世紀ルネサンス』(創文社 2001年)がある。前著は手頃な中世大学史として便利。講義準備の役に立つ。後者は、どうかな。

パリ、ボローニャ、オクスフォードといった最初期の大学が12世紀に創設されてのち、大学組織は放射状にヨーロッパ全域に広がった。神学、医学、法学が最も重要な上級学部であるが、大学が増えたのは大学人の知識が社会で必要とされるようになったからである。とりわけ法学は、権力者の組織が拡大するにつれて、その重要度を増す。ローマ法とカノン法の知識は、法的業務を遂行するための基礎知識であるが、それのみならず、権力者同士の角逐の際に武器となる。学生たちはよい教師を求めて「知的遍歴pregrinatio academica」をおこなうが、君主は自前の知識人、とりわけ法曹人を育てるために、自国に大学を創設する。初期の大学がある意味学生と教師間での自然発生的な取り決めに依存していたことを考えれば、後発大学はその存立意義において大きく異なる。カール4世のプラハ大学や大ステン・スチューレのウプサラ大学は、そのよい例であろう。

アリストテレスの著作がアラブ世界経由でラテン語に翻訳されたことはよく知られているが、中世末期、それがフランス語にあらためて翻訳されたことはあまり論じられない。しかしながら、これは重要な出来事であるように思う。それは、ラテン語を読めない層がアリストテレスの知識を必要とするようになったからである。13世紀とは異なり、中世末期、アリストテレスはただ大学世界のなかに閉じ込められた知識ではなくなり、より広い層に訴えかけ、そして利用されるテクストとなっていたということであろう。

知識の歴史は、基本的に、神学、医学、法学それぞれを異なるコンテクストで整理してきた。つまり哲学者の哲学史、医学史家の医学史、法制史家の法学史である。それぞれに立派な研究史があり、私の知る限り、ほとんどの場合はテクスト内容の分析であった。大学という場とそこで生産される知識人という枠を通じて見直した場合、従来の思想史とは別の側面も見えてくる。本書は概略的だけれども、いくらかのヒントを与えてくれる。

とはいえ、中世初期に関心のあるものからすれば、中世後期は複雑すぎてわかりませんな。

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