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キリストの身体 [Arts & Industry]

キリストの身体.jpg
岡田温司
キリストの身体 血と肉と愛の傷
中公新書 2009年 v+278頁

はじめに
第1章 美しいキリスト、醜いキリスト
第2章 パンとワイン、あるいはキリストの血と肉
第3章 肖像と形見
第4章 キリストに倣って(イミタティオ・クリスティ)
第5章 愛の傷
おわりに

参考文献

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著者の本は何冊か読んでみた。文章は流れているしできる人だとは思ったが、ルネサンスが対象だからかいまいち私にピンとこなかった。本書は中世末期に焦点が絞られているし、他のものよりは腑に落ちたような気がした。『マグダラのマリア』、『処女懐胎』との三部作の中では一番面白かった。何年か前に古代末期からルネサンスにいたる身体論を半年間講義したことがあるが、本書があれば、もっとましで、かつもっと楽にノートをつくることができただろう。

彼はこういうことも言っている。「ところで、ルネサンスと言えば、どちらかというと、ギリシア=ローマの異教的文化の復活や、新プラトン主義的な思想のことばかりをすぐ思い描きがちだが、その根底には、中世に由来するこのような宗教的な心性や図像の伝統が、脈々と流れていたのである」(212頁)。とりわけこれはルネサンス美術史の人に多い。岡田も学会でそう感じていたのだろう。ルネサンスと中世末期は重なっているが、ルネサンス研究の人はどうしてもペストから抜け出した新しい時代という側面を強調する傾向にある。過ぎ去らぬブルクハルトですな。同じことは宗教改革の研究者にも言える。巨人の肩が云々とは言わぬが、前の世代がから何を受け取ったのかという問題は、どの時代をやるにせよまず考えねばならない。

美術史学(/文学)と一般史学で最も親和性が高いのは、宗教の分野である。中世美術はほとんどすべてが宗教芸術であるし、そうした作品群は間違いなく同時代の宗教感情を拾い上げている。前者をテクストとするならば、後者はコンテクストであり、作品のコンテクストを再現できるのは一般史学である。岡田が参考とした著作は、ハンス・ベルティング、マイケル・カミール、ジェフリ・ハンバージャー、ロラン・レヒトのような私ですら知っている著名な中世美術史家にくわえて、アンドレ・ヴォシェ、ミリ・ルビン、キャロライン・バイナムキアラ・フルゴーニといった中世後期の心性史家のものである。

日本には中世後期の宗教史を専攻とする研究者はたいへん少ない。ヴォシェやルビンやバイナムは翻訳があってもよさそうだが、一冊たりともない。もちろんある種の伝統とカタのある国制史や経済史に比べてアプローチや史料の取り扱いが困難であり、さらにオリジナリティを出すのは(これがなければ研究とは言わない)もっと困難であるといった事情はある。とはいえ世間や学会の要請はあるので、チャレンジする若手がいてもいいと思うが…。

今書店にいけば、『中公新書の森』というアンケート冊子が無料で配布されている。各界の著名人に、中公新書の中で最も記憶に残ったものを1冊から3冊挙げよという企画である。会田雄次の『アーロン収容所』が一番人気のようである。確かに名著。なかには自著を挙げる人や自分の弟子の本を挙げる人もいた。中世史家としては、樺山紘一と佐藤彰一が答えている。



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