森本芳樹氏オーラルヒストリー [Historians & History]
森本芳樹氏オーラルヒストリー:〔付録〕森本芳樹氏履歴、業績目録
『九州歴史科学』37号(2009年)1-57頁
こちらでも記したように、1934年生まれの森本芳樹は、世界に名を知られる西洋中世史学者のひとり。日本の西洋中世史家としては珍しく、一般向け啓蒙書には手を染めず、膨大な数の専門論文のみで勝負してきた研究者である。フランス語論文は以下の著作にまとめられた。
Yoshiki Morimoto, Etudes sur l'économie rurale du haut Moyen Age. Historiographie, régime domanial, polyptyques carolingiens, preface de Pierre Toubert, Paris: De Bocard 2008.
学者の生涯は面白い。それは自分の道と重なる部分がいくつもあるからだと思うが、そうでなくとも、精神史はそもそも面白いのである。本インタビューも、とりわけ日本の西洋中世史の歩みをしるものにとっては、ことのほか興味をそそられる。というのも、森本は大変正直で、個人も職場も批判するし、自分の業績評価に対しても控えめではないからである。これは決して傲慢ではなく、飾らないというか、いいものはいい、だめなものはだめという、学者としてまっとうな自己ならびに他者評価である。そしてそのような発言は、成果を上げ学会を牽引した学者だからこそはじめてできる。若い人へのお言葉としては2点ある。意訳すると、横文字で書け、史料を読め、である。
森本の業績で特筆しておかねばならないことがある。それは彼の牽引力により、九州(大学)が西洋中世史の中心的研究拠点となりえたことである。日本の人文系学問の多くにおいては、たしかに偏差値の双璧をなす東京大学と京都大学が定期的に学会で重きをなす人材を供給しつづけている。しかしながら西洋中世史研究に限っては、かならずしもそうではなかった。一橋、東北、名古屋、九州といった大学は、ある特定の時期に集中して優秀な人材、つまり「史料を読み、横文字で書く」人材を学会に送り出すことができた。古代史や近代史ではありえなかったことである。それがなぜ中世史では可能であったのかというのは、戦後の日本の学術システムにかかわる問題となる。中世史学は、古代史ほど文献学的でなく、近代史ほどテーマ設定に左右されることのない、ついでに言えばそれぞれほど党派的ではなく、全国を通じて緩やかなネットワークがあるという、いかにも「中世」らしい曖昧な立ち位置にヒントがあるのではないかと思うが…。
タイトルにオーラルヒストリーとあるが、わたしは正確にそれがどのようなものかは知らない。むかし御厨貴『オーラルヒストリー』(中公新書 2002年)を読んだが、わたしの履歴書と何が違うのか、いまひとつピンとこなかった。ただ、ひとは自分の都合のいいように記憶を書き換えるから、インタビュアーはそうならないように質問の仕方に注意をするとかナントカかいってあったような気がする。
インタビューの24ページに登場する直居淳(ここでは直江となっているがまちがい)は戦後のある時期を経験した西洋中世史家にとってよほどインパクトのある存在だったのであろう。『クリオ』誌に掲載された樺山紘一や佐藤彰一へのインタビューでも、示し合わせたかのごとく、この早世したドイツ中世史家の名前が引き合いに出されている。