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Popes, lawyers and infidels [Medieval History]

Letter to Innocentius 4 by Guyuk Khan.jpg
James Muldoon
Popes, lawyers and infidels. The Church and non-Christian world 1250-1550.
Liverpool: Liverpool UP 1977, 212 p.

Introduction
1. Christian relations with infidels: the theory
2. Innocent IV: the theorist as practioner
3. The successors of Innocent IV
4. The popes of Avignon and the world beyond Christendom
5. The end of the Mongol mission
6. The lawyers reconsider the rights of infidels
7. The Spanish experience
Conclusion

Appendix: A note on medieval attitudes and modern racism
Notes
Bibliography
Index

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著者はラトガーズ大学の名誉教授。中世カノン法の研究者。中世カノン法の研究は戦前ドイツが中心であったが、戦後、アメリカにその重心が移る。理由の一つは、ユダヤ人という理由で職を追われたStephen Kuttnerが、アメリカに移住し、カソリック大学やエール大学で教鞭をとったからである。ただ、本書の著者とクットナーに師弟関係があるわけではなさそうである。現在、世界最高のカノン法学者はやはりアメリカ人のJames Brundageであろう。

講義のためにヨーロッパとモンゴルの関係を調べていると行き当たった本。教皇とモンゴルの関係をたどった数少ない研究書のひとつ。小著だが、インノケンティウス4世とアヴィニヨン教皇という要点を抑え、さらにラス・カサスまで射程を広げている。インディアンをどう捉えるかというのはルネサンス期ヨーロッパにおいて大きな議論を巻き起こした。邦訳もあるルイス・ハンケの『アリストテレスとアメリア・インディアン』でその梗概を知ることは出来るが、本年度サントリー学芸賞を受賞した松森奈津子『野蛮から秩序へ インディアス問題とサラマンカ学派』(名古屋大学出版会)でさらに深い議論をたどることが出来る。

モンゴルに対するミッションは、プラノ・カルピニを派遣した教皇イノケンティウス4世(1243-54)によりはじまる。彼自身、本来ボローニャ大学でカノン法学を教授していた法学者である。13世紀以降、世俗世界ではローマ法の、教会世界ではカノン法のもつ力が増大し、それを論拠とした知的闘争とその紛争解決が頻発することになった。知識が武器となるわけである。モンゴル・ミッションの背景には、このような法的知識に基づく異教徒改宗の理論化がある。

モンゴル・ミッションを担ったのはフランシスコ会である。その理由は、フランシスコ会が教皇より東方世界の説教権を得たからである。托鉢修道会は都市の修道会と言われ、ヨーロッパ内の都市化との関係で議論されることが多いが、それだけではなく、教皇の尖兵としての役割もクローズアップされてしかるべきであろう。フランシスコ会によるミッションの記録はおおよそ、A. van den Wyngaert(ed.), Sinica Franciscana, vol.1: Itinera et relationes Fratrum minorum saeculi XIII et XIV, Firenze, 1929に収められている。重要な資料集であるが、日本では東洋文庫以外に所蔵している機関をわたしは知らない。

写真は、モンゴルのグユク・ハンからインノケンティウス4世にあてた1246年の書簡。現在でもヴァチカンと文書館に現物がある。モンゴル帝国の公式書記言語であるペルシア語で書かれている。重要なのは、教皇庁側はこのような文書を解読する知識をすでに蓄積していたことである。


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