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フロイスの見た戦国日本 [Medieval History]

フロイスの見た仙石日本.jpg
川崎桃太
フロイスの見た戦国日本
中公文庫 2006年 309頁

まえがき

フロイス都へ
信長とフロイス
秀吉とフロイス
キリシタン大名とキリスト教の布教
フロイスが描いた、武将・文化人・女性
フロイスが見た、戦国日本の文化・風俗
フロイスの見なかった日本

あとがき
文庫版の刊行にあたって

* * * * * * * * * *

イエズス会士ルイス・フロイスによる記録『日本史』は、中公文庫版で12巻にのぼる。松田毅一と本書の著者川崎桃太の共訳によるこの偉業は、戦国時代日本に関心のあるすべての人にとって不可欠のデータを提供する。しかし全巻を読みとおすのは専門でもない限り至難の業なので、要約版である本書の登場となるわけである。

1549年にザビエルが鹿児島に上陸してから1643年に鎖国体制が完成するまでのおよそ一世紀間、日本はヨーロッパのカトリック世界と深いつながりを持っていた。現地ヨーロッパは宗教改革による信仰体制の組み換えがおこっていた時期である。この間、書簡や記録を通じて、日本の現状に関する情報がヨーロッパ世界に持ち込まれた。かつてマルコポーロが「黄金の国ジパング」と呼んだ日本は、ヨーロッパ人にとって、ただあこがれのみを掻き立てる理想郷ではなくなっていた。宣教師にとってはキリスト教拡大のための新天地であり、商人にとっては世界最大級の銀輸出国であった。…ということを、本書以下いくつかの資料を読みながら作成したノートにしたがって、昨日の講義で話した。

フロイスの『日本史』のみならず、イエズス会が日本に与えた、そして日本がイエズス会に与えた知的インパクトは計り知れない。ヴァリニャーノの『日本巡察記』、彼によりもたらされた活版印刷機、その印刷機を用いた『日葡辞書』そしてさまざまなキリシタン版は、戦国期日本そして大航海時代の世界史を考えるにあたって不可欠の要素である。イエズス会の視野は日本のみならずインドや中国にまで届いていた。近世アジア世界の歴史を知るためには、このイエズス会の役割を再検討することが必要であろう。…ということも話した。

鎖国後の日本に広がったキリスト教は、その多くがプロテスタント諸派である。近代日本文学とキリスト教思想は切っても切れぬ関係にあるが、その場合のキリスト教とはおおよそプロテスタントであることはそれほど意識されていないように見える。イエズス会が日本に再来するのは20世紀に入ってから、その活動の特徴である教育施設の設置は1913年である。つまり上智大学の開学である。『キリスト教史』、『中世思想原典集成』、『新カトリック大事典』という西洋学にとって不可欠のレファレンスを生み出したのは上智大学中世思想研究所である。…とうことも話した。

「鎖国三百年の平和の裏で素朴な信徒を悪者に仕立てていった幕府の政治は、キリスト教を悪とするイメージを日本人のどこかに刷り込んでいったのではなかろうか。平和願望の強い国民性にもかかわらず、明治維新の直前まで続いた不正な迫害が歴史の論争テーマとして取り上げられることはなかった。それがわたしには矛盾に思えてならない」(309頁)。文庫版あとがきの一節である。著者の川崎は1915年生まれなので、91歳の時にしたためた文章である。ブラジルのサンレオポールド市クリストレイ大学神学科卒とあるから、カトリックなのであろう。大正人の矍鑠とした姿が目に浮かぶ。



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